だがあの世界に住人がいるとしてそこに住まうのはどのような者なのだろう?……世界を統べるのは私たちなのか、彼らなのか?……どうして万物が人のために作られていると言えるのだろうか?
ケプラー(「憂鬱の解剖」より)
そしてこの地球に住む私たち人間である。少なく見積もってもやつらにとっての人間が、私たちにとっての猿やキツネザルと同じ程度に異質で低級なものであることは間違いない。人間のうちの知的な人々は、生きることは絶え間ない生存競争であるとすでに認めているが、それはまた火星上の知性も認めるところであったようだ。やつらの世界は寒冷化の中で老い、私たちの世界はいまだ生命がひしめきあっている。とはいえ、ひしめきあっているのはやつらからすれば劣等な動物だけである。太陽の方向に侵攻を開始することが何世代にもわたって忍び寄る破滅から逃れる唯一の方法であることは間違いなかった。
火星人に厳正な裁きを下す前に私たちは私たち自身の種がもたらした冷酷で完璧なまでの破壊について思い出さなければならない。消えていったバイソンやドードーといった動物だけではなく、力の劣った人種に対しておこなったこともである。タスマニア人はその人間としての類似性にも関わらず、ヨーロッパ移民によって遂行された絶滅戦争で完全にその存在を一掃された。その間、わずか五十年である。火星人たちが同じ精神でもって戦争を仕掛けたとして、私たちはそれに不満の声をあげる慈悲心の信奉者足り得るだろうか?
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