■冬の水行に睡眠2時間 過酷な100日修行、25歳副住職が達成
(朝日新聞デジタル - 02月25日 13:45)
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コメント欄には「無意味」「自己満足」「お釈迦様は荒行を否定したはず」等のコメントが多くて、私もそう思う。
タダ、マイミクさんで仏教徒の方がいるので、そういう人ならこういう荒行の意味とか意義とか説明してもらえるかなあと思って聞いてみた。
非常に誠実にお答えただいて申し訳ないが、やっぱ理解できない。
まあ、私は無神論というより、宗教に対して結構批判的否定的な見解を持ってるというか、神様trていうのは人間が作り出した方便だと思う、つうより確信してる。(違うっていうなら、今すぐ神様、目の前に出て来いよ(*^^)v)
だから、運用方法によって多くの人を救えることもあれば、世の中にとんでもない害悪をもたらすこともある。30年前地下鉄にサリン蒔いたとことか、昨今話題の統一なんとかとかのカルトがその最たるものだろうけど、今はちゃんとした宗教であるキリスト教なんかも、ヨーロッパの歴史見ると、十字軍や異端審問、同じキリスト教同士なのにカトリックじゃあプロテスタントじゃあ、と内ゲバよろしくさんざん殺しあったり。
勿論、それは宗教そのものではなく、時の政治権力とか社会問題とかあって、つまりは人間側の問題なんだろうけど、でも、じゃあ、所詮神様も仏さまも無力ジャン、ってことだよな。
タイトルはBzの曲の有名なフレーズだけど、これ「うんうん、そうだよなあ」って初めて聞いた時、喝采したかったよ。
信じる者は救われるっていうけど、これ、別に物理的に救済されるわけじゃないんだよな。それ出来るのは社会福祉であって、神仏を信じれば「救われたような気になる」だけです。
で、それが信仰です。
だから無意味というわけじゃなく、それが心の支えになることはあるのでしょう。
世界は理不尽で混沌です。科学文明や人権意識が進歩した現代でも本質的な理不尽さは変わらない。この世に生を受けた時から虐待をによって短い生涯を終える幼子、隣国の侵略戦争によって命を落す罪なき人々。自然災害だって、昔より余地や防災技術は進んでいるにしても、一度起これば数万人の命が失われていく。
そんな理不尽で残酷な世界の前で無力な人間は、なんか「死んだら天国極楽行ける」とか思いこまないとやってけんのでしょうね〜。
しかし、これがカルトのつけこむスキでもあるんだよな。
つか、カルトカルトととりあえず言ってるけど、私は宗教とカルトの境界もすごくあやふやだと感じている。まあ「金取るか取らないか」位に思ってるしかないが。
って、纏まらんでごめんだが。
とりあえず、最後に宮本武蔵でも引用しましょうか
「神仏を尊びて、神仏を頼らず」
とりあえず、お寺や神社に行けば手を合わせるし、さい銭箱に小銭も入れます。
仏像にいたずらしたり、さい銭泥っちゃいけませんよと。
信心はその程度まででよい。
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