三河一向一揆が起きたのは文禄6年だが、
同年、宣教師のルイス・フロイスが日本に来たことは偶然ではない。
イエズス会は、日本人をキリスト教に改宗させ、
日本を占領するために宣教師を派遣する。
信長はフロイスに布教をさせることに同意するが、
それに激しく抵抗したのが仏教徒である。
信長は弾薬を入手するため、布教を許すが、当然家康も同じ考えであった。
布教に反対する家康の家臣は多く、仏教徒と共に家康と戦うことを選択する。
それが三河一向一揆なのだ。
家康が一揆を鎮圧した後、反旗を翻した家臣を無罪放免にしたのには理由がある。
動機が正しかったからだ。
イエズス会は信長を改宗させるため、アフリカ人の弥助を送り込む。
彼はスパイだった。
本能寺の変が起きた時、現場にいたのにも関わらず、
無傷でイエズス会に戻っている。
本能寺の変はイエズス会の謀略だ。
信長が改宗しないため、暗殺したのである。
その前に起きた延暦寺焼き討ちもイエズス会が信長に仕向けたことだ。
イエズス会が、仏教徒を敵視していたために起きた事件である。
三河一向一揆はイエズス会と仏教徒との対立の結果なのだ。
日本史を見る場合、世界史から見なければ本質は分からない。
日本史を研究する場合、スペインやポルトガル、オランダ等の外国の資料を分析しなければならない。
日本の歴史学者は「木を見て森を見ず」で、
日本の中から見ているため、本質を知る機会を見逃す。
家康の家臣が反旗を翻した理由は他にもある。
イエズス会が奴隷貿易を行っていたからだ。
実際に、数万人の日本人が奴隷として取引されている。
商品なのだから、当然帳簿があり、スペインにそれが保管されている。
家康はその後、イエズス会と決別する。
日本が支配されることに危機感を抱くようになったからである。
スペインに限らず欧州の国は、外国を支配しようと画策した場合、
その国に内戦を起こさせ、国力が低下した隙を狙って侵攻する。
それが常套手段だ。
関ヶ原合戦も当然イエズス会の謀略である。
秀吉の朝鮮出兵も日本の国力低下を狙ったものだ。
世界史から見れば一目瞭然である。
三河一向一揆に関しては世界史の観点で考察する必要がある。
それが理解できなければ歴史学者の資格はない。
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https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=7246991
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