いやあ、困ったな。
調べれば調べる程、mRNAもマスクも、有効性より毒性の方が目に付いてしまう。
で、今までの経験から、ワクチンに関しては、ちゃんと調べてる人は打っていない。
マスクに関しては、自分も含めて、仕事上などで、うるさいから“忖度”して着用している、てのが殆どです。
逆に、“ちゃんと”マスクをして、ワクチンも複数回打ってる人達に、危険性や毒性について言うと、「え、そうなの?」と、初耳的な反応を示される傾向にある。それどころか怒る人も。
知り合いのカメラマンには、
「もうその話はしないで欲しい。自分はマスクもワクチンも、“マナー”だと思っているので。」
と答えたのがいた。
マナーってなんだ?。
要するに忖度だよね。
周りがしてるから、或いは仕事上、しないと仕事がし辛いから、足並揃えて“右へ倣え”してます、って事だよね。
彼はまた、
「自分がワクチンを打った理由は、周りで感染し、後遺症に苦しんでいる人間が何人かいたので。」
とも言った。
でもそれはキッカケ、或いは言い訳に過ぎない。
だって、もしワクチンが全く効かないとか、単なる毒でしかないとしたら、周りで何人が感染しようが、後遺症に苦しもうが、打とうとは思わない筈。
つまり、政府の、分科会の“専門家”なる人達の、言ってる事を信じて、“効くと思った”から打ったんだよね。
それが本当の理由。
だが、そうなると、“自主判断”と言う言葉には、大きな矛盾が生じてしまう。
マスクやワクチンの危険性について聞かされるとその矛盾に直面する。
それをやれと言われたから、周りに合わせてやっただけなのに、でも、“自主判断”。
騙された感と、自分の判断が間違っていたと、自己否定させられた感とで、何か腹立たしい。
と、なる訳です。
でも、こういう人間の方が、日本の社会では“生きやすい”んだよね。
だって、文句言ったり、反抗したりしない、従順な“御し易い”人間の方が、使いやすい、扱いやすい、もんな。
で、気付いた時にはもう手遅れです、ってか。
今回のワクチンやウクライナ問題で、その“御し易い”人間の多さが浮き彫りになったなと、改めて感じている今日この頃。
だから、この国は、カルト教団に牛耳られようが、物価や光熱費や税金が上がろうが、年金が破綻しようが、テロどころか、デモすらあまり起こらない、“平和”な国なのでした。
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