駅メモのイベント「縁とゆかりと歴史の旅」に行って来た。
四条6時59分発の地下鉄竹田行きに乗車。
割りと混んでいる。
7時3分、京都に到着。
7時16分の米原行きを待つ。
此方も割りと混んでおり、駅毎に乗客がある。
一時間ほど列車に揺られ、7時58分、近江八幡に到着。
ここで、近江鉄道に乗り換える。
「びわこ京阪奈線フリーキップ」を購入。
近江鉄道全線と信楽高原鐵道全線が一日乗り放題で1050円。
近江鉄道が一日乗り放題の「1デイ・スマイル チケット」が900円だから、僅か150円プラスするだけで信楽高原鐵道にも乗れて仕舞う、夢の様なチケット。
近江鉄道に乗車するのも、2014年10月26日以来。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1934329240&owner_id=5677348
随分と久し振りになる。
8時13分発の彦根行きに乗車。
近江鉄道800形「土山サービスエリア」ラッピング電車だった。
近江八幡からは、何となく先日乗車した久留里線の様な印象を受ける。
8時28分、太郎坊宮前に到着。
太郎坊宮前の駅前から、赤神山の麓まで参道が伸びており、両側に灯籠が立ち並んでいる。
赤神山を目指して歩く。
まだ、朝と云う様な時間だが、汗が滲んで来る。ま
途中、阿賀神社神饌田を横切る。
神饌田の傍らに、野面燈籠という立派な灯籠が立っている。
いよいよ、赤神山を登る。
阿賀神社は、推古天皇の時代に、箕作山に聖徳太子が摂津国に建立する四天王寺で使用する瓦を焼くために瓦屋寺を創建。
箕作山の一峯である赤神山に正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る社を建立したのが始まりとされる。
赤神山の名前から阿賀神社と云われる。
そして、時代は下がって平安の初期。
阿賀神社の神徳に感じ入った最澄が薬師如来を本尊とする成願寺を阿賀神社の神宮寺として麓に建立した。
その時に、修験道の大成者である役行者の兄弟子であり、赤神山に住んでいた天狗の太郎坊が山上に現れて、この地に一宇を建立するように最澄に告げ、山の守護神としてその建立を手助けしたという。
因みに、太郎坊の弟、次郎坊は京都の愛宕山に住んでいると伝わる。
その、成願寺にお参りし、本格的に山を登る。
740段余りの石段を登り詰め、夫婦石が見えて来る。
悪心のある者が間を通ると挟まれるとされる。
また、天狗が住んでいるともいわれる。
ここを過ぎると、ようやく本殿。
祈願をする。
眺望も素晴らしいが、多少ガスが掛かっているのが残念だ。
近江鉄道の踏切の音が流れて来るが、線路がどの辺りなのか検討つかないから、撮り鉄は出来ない。
裏参道を通り、参集殿で御朱印を頂く。
太郎坊宮のオリキャラ「かぁくろう」が可愛い。
再び、石段を下る。
太郎坊宮前に着いたのは9時35分頃。
28分の電車が行ったばかりなので、9時58分の彦根行きを待つ。
44分発の近江八幡行きを撮り鉄したりと、時間を潰す。
漸く、彦根行きが来た。
八日市で10分程停車する。
その間に貴生川行き、近江八幡行きを待ち合わせる。
構内に、鉄道むすめ「豊郷あかね」ラッピング電車が留置されていた。
駅構内、改札を出て「八日市ゆかり」のパネルを撮影する。
交換が終わって、発車。
新幹線に沿って近江盆地を走る。
並行する新幹線が邪魔で仕方がない。
高宮に10時37分着。
10時47分、多賀大社前行きに乗り換える。
貴生川行きを待っていたが、入って来た列車は、何と近江鉄道800形「赤電」だった。
懐かしい近江鉄道の塗装…
私が小学生の時分に乗車した近江鉄道を彷彿とさせる。
昔は車体に、色々な広告が入っていた様な記憶がある。
多賀大社前行きは「お〜いお茶」ラッピング電車だった。
途中、スクリーン駅だけしかないので、すぐに多賀大社前に到着。
多賀大社を目指し歩く。
途中に「村山たか女の住処」なるものがあった。
かの有名な井伊直弼の妾だった、村山たかの生家の跡だそうだ。
多賀大社に、無事に到着。
多賀大社まで来たのは、2013年以来。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1916003330&owner_id=5677348
11年振りの参拝だった。
時分だったので、多賀大社名物「寿命そば」で頂く。
山芋とろろそば、季節ごはん。
今日はあさりご飯。
昼食の後、お参り。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」と謡われた多賀大社。
摂社もお参りして行く。
本殿が見える。
摂社の一つに、金咲稲荷大社と云うのがある。
実に縁起の良さそうなお稲荷さんだ。
再び拝殿に。
奇跡的に人が途切れた。
お参りの後、鳥居前の亀寿軒で休憩。
冷たい甘酒を頂く。
看板犬のルルちゃんが可愛い。
モフモフさせて貰った。
駅に戻る途中「せんなり亭伽羅 多賀別邸」などと云う店があり、近江牛すき焼き鍋膳が3300円とある。
名前の通り、彦根にある近江牛専門店「千成亭」の支店であるからこの価格だとお買い得とも云える。
次に多賀に来ることがあれば、ここで昼食を取るのも良いかもしれない。
多賀大社前12時27分発の高宮行きに乗車。
高宮で米原行きに乗り換える。
彦根を発車して構内を抜けると、近江鉄道900形「あかね号」八日市ゆかりヘッドマーク電車が留置されていた。
折角乗り鉄に来たのに、残念でならない。
彦根から先、米原までの区間はもう、40年以上振りの乗車だ。
母方の実家が米原で、彦根に大叔母が住んでいたので米原から彦根、或いは彦根から米原を鉄道で移動することが何度かあった。
その時、いつも国鉄ばかりだったからたまには近江鉄道に乗りたいと駄々をこねて、米原から乗せて貰った。
当時は、米原駅には西口が無く、東口はもっと東に大きな旧家のような立派な駅舎で、広々とした構内では何輛もの貨車が入れ替え作業を行っていた。
彦根を出ると佐和山をトンネルで抜ける。
近江鉄道では2か所しかないトンネルで、一瞬、深山を行く様な錯覚を覚える。
佐和山隧道を抜けると、鳥居本駅。
かつては日石の専用線があり、安治川口まで貨物列車が走っていた。
今も残る広い駅構内に貨物ホーム跡が当時を偲ばせる。
昭和6年開業当時の駅舎は、独特の腰折れ屋根を持つ洋風建築。
この駅舎は、国道8号線の車窓から眺めた事は何度もあったが、下車したのは初めてである。
何度もある機会では無いから、暫く撮影した。
駅前は中山道の鳥居本宿。
8号線を渡った先に、旧中山道が走っている。
折角なので街道を歩いてみた。
本陣は建て替えられ、ヴォーリズ建築の洋館になっている。
鳥居本は合羽が名産だったらしく、その跡も残っていた。
そして、鳥居本宿のシンボル的な赤玉神教丸本舗。
隣接して、明治天皇鳥居本御小休所も残されている。
初めて鳥居本宿を歩いたが、他にもまだ見所があり、また訪れてみたい。
鳥居本駅に戻り、13時28分発の貴生川行きに乗車。
13時53分に豊郷着。
駅前には、あずにゃんがいる。
豊郷小学校旧校舎へ行く。
残念ながらコロナで閉まっていた。
なので、殆ど人がいないから、思い切り校舎を撮影する。
周りで撮影している人も何人かいたが、恐らくはスタンプラリーの「同志」だろう。
撮影した後、何もすることもないので駅に戻る。
流石は江州音頭のふるさと、駅に盆踊りの櫓があった。
余りの暑さにビールが呑みたくなる。
14時54分発の八日市行きに乗車。
近江鉄道800形「赤電」だった。
愛知川を渡ると河川敷にパトカーと警察官がいた。
五箇荘を出ると、愛知川河岸の砂利採取場まで延びていた専用線の跡が見える。
今は、バラスト積載線として使われている様だ。
15時9分、八日市着。
15時18分発貴生川行きに乗り換える。
桜川から先は、駅メモ的にへ初乗車となる区間。
佐久良川を渡り日野で交換。
駅前を彷徨いてみる。
日野は、中二病の聖地のようだ。
駅に戻ると、交換する列車がやって来た。
日野から、次の水口松尾までは4.9kmもある。
少し山に入り清水山隧道を抜け丘陵地帯を走る。
拓けて来たら水口松尾。
水口の町を抜けて16時ちょうど、水口城南着。
ここで、水口城へ。
水口は、江戸時代に徳川氏の直轄地となり、宿場町として発展した。
3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、上洛した際に、宿館として従来の水口御殿に替えて城を築かせた。
これが水口城である。
二条城の様な平城である。
天和2年(1682年)、加藤嘉明の孫である加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立した。
そんな水口城も、コロナの影響で閉まっていた。
それでも、スタンプラリーはコンプリート。
曳き山祭で有名な、水口神社に参拝。
16時51分発の貴生川行きに乗車。
最後を飾る電車は、またもや「赤電」である。
一駅で貴生川。
16時55分着、これにて近江鉄道の旅は終了。
17時6分発のJR草津線京都行きに乗り換える。
113系の4連で、車内は昔ながらのセミクロスシート。
これぞ国鉄、これでこそ113系である。
京都で、18時7分発の地下鉄国際会館行きに乗り換える。
四条でへ太秦萌がカルネの宣伝をしている。
ライフに寄り、帰宅。
充実した近江鉄道の旅だった。
ログインしてコメントを確認・投稿する