片山杜秀著『皇国史観』(文春新書)を読む。
片山杜秀氏は、最期に次のように述べている。
�狷�本人が、天皇を必要とせずに、より効果的に国民のまとまりを作り出せるようにならぬ限り、日本は、天皇の居る国という意味で、広告であり続け、天皇の居る意味や、その意味を持続させてゆくための仕掛けもまた、時代に合わせて考案されたり前の仕掛けが甦ったりしてゆくことでしょう。天皇は歴史性を存在の最大の根拠とするゆえに、天皇が意味を持って今日もあるということは、すなわちそこに何らかの皇国史観が生きていることになりましょう。・・・・・(中略)・・・・・かくして広告を意味付け納得させる史観は、今日も何らかの装いをとって息づいているでしょう。皇国が滅ぶ日まで、私どもは私どもの皇国史観を探求し続けるのです。��
何等かの意味で天皇を必要とする国、天皇が居る国は�犢長餃瓩覆里澄�つまり�犢長饂亡儉瓩箸蓮�決して戦前戦中に国民を戦争に駆り立てた仕掛けではなく、今も何らかの�犢長饂亡儉瓩里覆�にわたしたちは生きているということを語っているのであろう。
片山杜秀氏の『皇国史観』は、�犢長饂亡儉瓩鬟董璽泙法崛梓�水戸学」「後期水戸学」「五ヶ条の御誓文」「大日本帝国憲法」「南北朝正閏問題」「天皇機関説」「天皇退位」等を�犢峙膳措悪瓩能颪�れている。
何故徳川光圀が『大日本史』の編纂を行ったのか、将軍になれない水戸徳川家出身の徳川慶喜は将軍になり、すぐに大政奉還を行ったのか等の理由が分かったので面白かった。
また平成天皇の「天皇退位」という問題が何を意味しているのかということも改めて考えるいい機会となった。
読んで面白い一冊であった。
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