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2021年02月21日14:20

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おい、

ええ〜〜私1号

自分のことを

おい と言います

僕、とは言いません〜

おれ、とも言いません〜〜

おら か 

おい  と言います〜〜

ところが、

町から出ると

おい と誰も言いませんでした

以外に使ってたんですが

随分前にも書いたでしょうか?

明治時代に雄勝にと言いますか

宮城のほかの地区にもあったと思いますが

西南戦争の「国事犯」が収監された刑務所

が、あったそうな

西郷隆盛の叔父椎原国幹と言う方も

いたそうです、

1878〜96年の間

雄勝湾の一番奥で

大原川の河口付近

防潮林があって

そこは中洲になってって

その中州に刑務所があったそうです

小さい時は遊び場でした

その時には建物はありませんでした

ウナギがいたり、綺麗なカワセミが飛んでました

がまの穂とか後は?忘れましたが

色々植物が生えてました

蛇が出て逃げました〜〜〜(^O^)/

そこを埋め立てて硯館他色々と

建物が立ちました

ある学者によると

薩摩藩の方々が雄勝にいた

という事で自分の事を おい

と言うのではないか?

「おいどん」は「わたしども」となるそうで

一人の場合は おい

と 自分のことを言うらしい

国事犯と言っても町の人と

硯山で一緒に硯石堀りをしてたらしく

火事騒ぎがあれば

消火活動したり

一緒に吞んで騒いで!

とっても仲が良かったとか

食べるものも美味しいし

みんなお友達だし

解き放ち後も

そのまま雄勝住民になってしまった方も

いたとか!

九州の言葉がある程度残ったのでしょか

浜の町 雄勝町には

色んな所から来た方がいるようで

色んな言葉が

まじゃってすまったんだべねえ〜

近くの集落には隠れキリシタンもいたと

獅子舞のおじさんたちが集まって

呑む度に解ることを話してました

背がとってもおっきがったどが、、

隠れないといけない方々

逃げてきた方々

その浜、地区に住み着いたんですかねえ〜〜

いやいや!おいもびっくらすて

どででさったねやあ〜〜〜

その前に昔お爺さんお婆さんの会話

聞いても何だか

解りませんでした〜〜

そのせいで雄勝の歴史

津波の歴史も伝承にならないという事ですが

つまり新聞記者がインタビューしても

何を言ってるのか理解できなかった、

それである程度新しい時代の事しか

残ってないようです〜〜

どちらかと言うと

言い伝えでしか昔のことは

解らない、

と言う事になるんでしょうか

    1号〜〜(^O^)/いちご〜〜!






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