コロナ禍において、信仰というものは人の助けになるのだろうか?などとふと考えた。
もう一年近く我々はコロナに振り回されてる。
いろいると不自由不便もあるし、実際経済的物理的な打撃を受けた人たちも多いでしょう。
私だって、全くなにも感じてないわけじゃありまん、。いろいろ不満はないわけじゃないんです。
ただ、コロナ禍になって、いろいろな報道や人の話を見聞きする中で、時々、幸福感を感じることがあるんですね。
別にコロナ禍が幸福だと言っているんじゃないですよ。
自分は医療従事者の方々のように感染リスクに怯えながら激務の中にいるわけでもない、仕事も住みかも失って路上に放り出されることも無く、安心して眠れる家がある。家族関係も良好でDVに晒されることも無い、別に人の不幸と比べるわけではありません。
ただ、今迄なんも感じずに、平凡でつまらなく過ごしてきた生活が、なんかすごく恵まれた幸福なものに思えてくるんですね。
なんか自分で書いててキモいですが、キモいけど感じるんだから仕方ない。
で、思ったんですが、なんからの信仰を持っている人というのは、こういう思いを持つのだろうか?と。
私は一応キリスト教系の学校出てるんですが、礼拝なんかさぼるか寝てるかだったし、むしろキリスト教には批判的な視点も持ってるし、仏教に関しては家は真言宗らしい程度のある意味ありがちな日本人(?)で、他の宗教には全くかかわりのない、無宗教ですが。
で、学校出たのも何十年も昔なんですが、最近、ふっと聖書の「神によって生かされている」というような教えを思い出して、もしかして「神によって生かされている」という想いを心にもてる人は日々、今私が感じるような幸福や感謝を、特に困難にあった時に感じられるのかな、と思ったりしました。
祈ったって腹が膨れるわけでも金が儲かるわけでもないから、物理的なことは物理的にか解決できないし、そっちでするべきです。
ただ、心の問題っていうのを解決するには、宗教、といっても「100万のツボ買ったらコロナに罹らない」みたいなインチキカルトじゃなく、真っ当な信仰というものは、こういう時、助けになるのか、ならないのか?
つうのは、私は無信仰な人間だから、もしかしたらトンチンカンなこと言ってるのかも知れないので。
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