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2020年04月04日09:46

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西谷宗教哲学の根本的姿勢・立場と神秘主義という立場

「『われ在り』ということの窮極の根底は底なきものである。我々の生の根源には脚を着けるべき何物も無いという所がある。むしろ立脚すべき何ものも無い所に立脚するゆえに生もまた生なのである。そしてそういう脱底の自覚から、新しい主体性が、宗教的知性と理性と自然的生とを一貫するものとしてあらわれてくる。」

上記は、西谷啓治の初期の代表的な大著である『根源的主体性の哲学』の「緒言」において西谷啓治が自らの著作の表題とした�犧�源的主体性�瓩箸いξ�場について端的に説明した箇所である。

薗田担氏は、西谷啓治のこの�犧�源的主体性�瓩箸いξ�場に、西谷啓治が見た神秘主義という立場が深くそして強く影響しているとみなしている。

「いずれにせよ、ここで著者(西谷啓治)は神秘主義を、人間はいかなるものであり、いかに生きるべきかという、いわゆる根本的な哲学的・宗教的な認識ないし探求の、もっとも本質的にして原理的な方途として意味づけるとともに、そのような可能性の一つの根源的ないし極限的な在り方を目指すものと見なしているのであり、そこからまた神秘主義ないし神秘思想のうちに、決定的に重要な意義と価値を見出さんとしているように思われる。因みに言えば、このような神秘主義的立場のうちに実現され、表明されてくる哲学的認識ないし宗教的探究の根本姿勢は、ある意味で著者(西谷啓治)自身のそれ以後の宗教・哲学的思索の基本的な立場とされ、原理的な立脚地となっているようにすら見られ得る。」

冒頭に引用した西谷啓治の�犧�源的主体性�瓩箸いξ�場の説明は、どこか西谷啓治が『神秘思想史』において�狄脆觴腟舛瞭端銑瓩鮴睫世靴辛�分と重なってくる。�犧�源的主体性�瓩箸いξ�場が西谷宗教哲学の根本的姿勢・立場だとするならば、その根本的姿勢・立場に�狄脆觴腟銑瓩留洞舛鮨爾�そして強く受けているといえるのである。

薗田担氏がその著書『無底と意志―形而上学 ヤーコブ・ベーメ研究』(創文社)の補章「自由と悪―J・ベーメの〈無底〉をめぐって―」において、西谷啓治の最初期の著作である『神秘思想史』を引用しているのは、西谷啓治の宗教・哲学的思索の根本的な立場と神秘主義という立場との関係性を論じようとしたためであったように思われるのである。
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