かつてわたしが大谷大学大学院の学生だった頃、西谷啓治先生の『ドストエフスキー論』が筑摩書房から刊行されたという�牘臭瓩�流れたことがあった。
その『ドストエフスキー論』は、なんと�犂愿戝篭茘瓩世韻任垢任亡�行されているという、けったいな話であった。しかし書籍の出版にある地域だけで刊行されるということがあるのかと、わたしは訝った。
西谷啓治先生ご自身に筑摩書房から『ドストエフスキー論』が刊行されたのかとお聞きしても、西谷啓治先生ご自身の回答も曖昧だった。
わたしは、少し前法蔵館から刊行された西谷啓治先生の『仏教について』という書籍が著者である西谷啓治先生の了解なしに製本まで勝手に進め、書籍が完成した段階で西谷啓治先生の了解を法蔵館が撮りに来て、西谷啓治先生はかなり法蔵館にお怒りになられたという話を聞いたところであった。
�犹笋力辰亮膣僂蓮愧浪疾験莠圓亮蟲�』に「観想としてのニヒリズム、『罪と罰』に「行動」としてのニヒリズム、『悪霊』のスタヴローギンに「存在」としてのニヒリズム、『カラマーゾフの兄弟』のイヴンに『精神』としてのニヒリズム、といふべきものを認めて、それらの間に、ドストエフスキイにおけるニヒリズムが一歩一歩深めて来た跡を辿らうとする試みにあった。・・・・〔中略〕・・・・・・・ここで言われている予定の部分は未刊のままとなっているが、いつか機会を得て公にしたいと思っている。��
これは、西谷啓治先生の『ニヒリズム』の附録その二。「ロシアの虚無主義」の最後に書かれた一文である。その当時、わたしのなかには、この�爐い弔�機会を得て公にしたい�瓩箸いΔ里�妙に引っかかりを覚えた記憶が残っている。
筑摩書房から実際に刊行されたのは『西田幾多郎』であって、「ドストエフスキー論」ではなかった。しかし未刊となっている�猴縦蠅良�分�瓩呂垢任妨狭討禄颪�れていると今も思っている。未刊のままに終わった西哲叢書の『ベルクソン』も原稿は書き上げられているという話であった。ただ西谷啓治先生は現行の�犲衫イ讚瓩�非常に遅い先生として有名であった。
そういうことを考えても西谷啓治先生の『ドストエフスキー論』の出版は先生がお亡くなりになって、30年が経つ今、検討してもらいたい企画である。
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