昨夜、また母の夢を見る。
母の夢を見るというよりも、母がわたしの夢のなかに登場してくるという方が正しいのかもしれない。
昨夜は、大阪の日本橋の方にマンションを見に行こうということで、母の友人という見知らぬ老婆が運転する自動車で日本橋の方に行くのであるが、途中長良橋を渡っていくのであるが、その長良橋が工事中で一車線通行になっていたのを覚えている。
しかし夢のなかに母は、にこやかでパワフルでまさしく�狢膾紊離�バチャン�瓩箸い辰心兇犬任箸討盡亀い任△襦�
そういえば、母はいつもわたしと向き合うときは、いつも元気でパワフルだった。お母さんっ子だったわたしは少しでも弱った母の姿を見ると、心配になっていたことを覚えている。どこかで�猜譴了爿瓩魄貳嵒櫃�っていたのは、わたしだったのである。
母もそのことは分かっていたようで、だからわたしには決して気弱になった姿を見せまいとしてくれていたようにも思える。
だからわたしの夢のなかに登場してくる母は、いつも元気でにこやかでパワフルなのである。
母は亡くなってもなお、わたしに気を使ってくれているのだろうか。そんなことを考えると、母という存在の有り難さをあたらめて感じるのである。
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