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2019年11月27日23:48

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箸墓と卑弥呼の墓

「崇神天皇」と「景行天皇」がお宮を
建てた記録が記紀に残されている纏向には、
全長278メートルの美しき
前方後円墳「箸墓」があります。

箸墓は、孝霊天皇の皇女で、
倭迹迹日百襲姫命(以下トトヒメ)の
お墓であると「史書」に書かれているのです。

トトヒメは、とある事情から、
箸が理由で亡くなったので「箸墓」です。
トトヒメの死は、崇神天皇の御代のこととの
記載があります(記紀に)。

炭素14年代測定法により、
トトヒメの箸墓は西暦280年から300年の
造営であることが判明しています。

つまりは、崇神天皇の御代は三世紀後半。
ちなみに、魏志倭人伝によると、
卑弥呼の死は248年前後。

崇神天皇は、従わない勢力を討伐するため、
四道将軍を送り出しています。

というわけで、
九州北部の邪馬台国が卑弥呼の死と、
それ以降の混乱で衰える東側で、
大和王朝が次第に近畿から勢力を拡大して
いったことが分かります。
邪馬台国と大和王朝は、
間違いなく別の国です。

上記には、
わたくしの「推測」は一切入っていません。
記紀や魏志倭人伝を素直に読み、
箸墓の科学的分析の結果と
付け合わせただけです。

それにも関わらず、
相変わらず日本の考古学者は、

「邪馬台国は纏向にあった。
 箸墓は卑弥呼の墓だ」

との主張を改めません。

魏志倭人伝には、

「卑弥呼は死んでしまい、大規模に
 直径で百歩余りの墳墓を作った。」

と、あります。

上記は、普通に読めば直系50メートル
くらいの「円墳」ですよね。
歴史学者たちの中には、一歩は六尺で、
一尺が24.3センチならば
145.8メートル、
と主張している人もいますが、
とりあえずどちらでも構いません。

いずれにしても、上記の記述から
「卑弥呼の墓は前方後円墳」と
主張する人はいないでしょう。

そして、箸墓は見事なまでの前方後円墳。
しかも、長さは278メートル。
形も大きさも、全然違います。

ところが、
未だに「箸墓=卑弥呼の墓」説が消えない。

ところで、邪馬台国と比定される旧山門郡
(名前からしてヤマト)、現みやま市には、
権現塚古墳と呼ばれる「円墳」があります。
直径は、45メートルほどです。

権現塚古墳の近辺からは、
様々な刀剣や装飾品が出土しています。

どう考えても、箸墓よりは権現塚古墳の方が、
卑弥呼の墓である可能性は高いでしょう。
一歩を普通に「一歩」とすると、
まさに魏志倭人伝の記述通りなのです。
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