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2019年08月24日00:16

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邪馬台国はどこにあったのか?

なぜ我々国民が普通の
「国家的関係」を受け入れられないのかと言えば、

「我々の生活は、過去の先人の努力の上に成り立っている。

すでにこの世を去った先人に恩を返すことはできない。

我々は将来世代に、過去の先人から受けた恩を返さなければならない」


という、
縦軸のナショナリズムを喪失していることが主因だと思います。

そして、なぜ縦軸のナショナリズムが失われたのかといえば、もちろん「日本国の正しい歴史」を奪われたためです。


戦後の日本の歴史学会は、とにかく「世界最古の日本国」という歴史的事実を否定するため「だけ」に進化しました。


神武天皇の東征、つまりは日本国の建国は、日本書紀の記述や大阪平野の変遷により、紀元前50年「より前」であることは確定しています。


ところが、日本建国が三世紀以降であるという「捏造」が、次々に歴史学者(と称する連中)から発信されました。


代表的な捏造説は、二つ。すなわち、「邪馬台国起源説」と、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」です。


江上の妄説については、別の機会に解説しますが、とりあえず「邪馬台国起源論」です。


邪馬台国は畿内、それも「纒向(まきむく、現:奈良県桜井市)」に存在した。大和王朝の起源は邪馬台国であるという「嘘」が考古学者中心に広められ、なかなか払拭できません。


大和王朝が邪馬台国の後継ということになると、魏志倭人伝(邪馬台国に関する記述がある)が書かれたのが三世紀であるため、日本建国の時期を数世紀後ろに「ずらす」ことができるのです。

とはいえ、纒向の遺跡は、日本書紀の垂仁天皇の項に、

「冬十月さらに纒向に都をつくり珠城宮といった」

と、誰が建設したのか、
そのままずばり「答え」が書いてあります。

また、古事記にも、

「オホタラシヒコオシロワケノ天皇(景行天皇)は、纏向に、日代の宮をつくって、そこで天下を治めた」

と、あります。


つまりは、
纒向の宮は垂仁天皇から景行天皇(ヤマトタケルノミコトの父親)の時代に、大和王朝によって建てられたのです。
(考古学による時代考証も、ピタリと合います)


それにも関わらず、
未だに邪馬台国=大和王朝説が消えない。

ついでに、魏志倭人伝によると、
「その(※邪馬台国の)さらに南に、狗奴国(くなこく)がある。この国では男子が王となっている。

その長官には、狗古智卑狗(きくちひこ)がいる。女王には服属していない。」

と、ありますが、これは普通に
「邪馬台国の南に熊襲国がある。長官は菊池氏」と読むべきです。


つまりは、邪馬台国は熊本の菊池氏が長官を務める地(現:菊池市)の「北」にあったのです。

普通に魏志倭人伝を読み解く、
というより「読めば」、
邪馬台国の位置は明らかです(現、福岡県みやま市)。

それにも関わらず、「邪馬台国が奈良(纏向)にあった」説が消えない。

つまりは、政治的に、

「大和王朝は、邪馬台国の後継である。日本建国は三世紀以降で、初期の天皇は実在しなかった」

と、日本国民に思わせたい勢力が存在しているのです。

縦軸のナショナリズムを復活させるためには、国民が「正しい歴史」を知る必要があります。
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