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2019年08月01日23:38

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講和条約

吉田茂首相は、
アメリカとの講和条約を
急いでいた。

後世の批判は承知の上だった。


それは、1951年9月8日、
アメリカとの間で結ばれた
旧安保条約があまりにも一方的なもの
だったからだ…


まず第一に、
アメリカに日本を守る義務はない。

米軍としては日本本土を
基地として使いたいだけ
だったからである。


しかも、国内で反乱が起きたら、
米軍は日本政府の責任の範囲「外」で
行動できるようになっていた。

これは日本人の抵抗権を奪うものである。

まさに日本列島は日本人のものではなく、
アメリカのもの同然だった。


おまけにアメリカ側は、
日本は安全保障に“タダ乗り”している
と日本を批判していた。

これはあんまりだった。

アメリカに都合のいい条約でありながら、
どういうわけか日本は恩を売られる
という妙なことになっていたのだ…



それでも講和条約を急ぐ吉田茂首相は、
目をつぶってこれを締結しようとした。

その内容は、アメリカ以外の戦勝国からも
さすがに「寛大すぎる!」と
文句が出るほどの屈辱的な
ものであった。


しかも、、、



旧安保条約は、日本とアメリカの「双方が」、
この条約はもう不必要になった
と合意するまで、続くことになっている。


逆にいうと、

「日本がもういい加減終わりにしたい」

と言っても、アメリカがだめと
言ったらそれっきり。

つまり、これは実質上、
半永久的にアメリカの「属国」となることを
約束した条約だったのである、、、


これに、猛烈に反発していたのが、
のちの首相・岸信介だった。
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