つい最近日本で、「私は死にたい」と発言した自殺願望者に二言を許さなかった、自殺介助の連続殺人事件がありました。
それは苛め問題ととても共通して、社会性の傾きを感じます。
「死ねばいい」のニュースのそれは、テーマの強調表現であり、実際は、陰湿な連続性のある精神的迫害があったと感じます。
私は、問題さえも、この連続性を持つ極端な社会性が、問題であると考えます。
言葉への反応が、突発的で激しい現代を、社会に感じます。(勿論問題を共有して知恵を持ちより人知を築くことは良いことですが)別の次元で誰かが声をあげればそれに続く人々が連続的に出現していく。かと思えば関心外の生活に関わる重要な問題には、連続的に反応しない。
全てが最近の部分的極端な粘りがある気象状況にもどこか似ています。
まず教師は人の尊さを教えなければならない。他者をも尊ぶことは、死ねと言われても心を崩さない、自らの存在価値を知ることに始まります。
基本を尊ぶバランスのとれた社会の構築の重さに、気がつくことが大切なのではないでしょうか?
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