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2019年03月03日13:23

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恩師・原野栄二先生の110回目の誕生日と戦時中の三木清

今日、三月三日は恩師・原野栄二先生の110回目の誕生日である。

戦前、戦中と原野栄二先生は、�狎鐐菷紳个鮠Г┐覺躙永�子�瓩箸靴篤段鵡眦�警察(特高警察)の尾行を24時間、365日受けていたという。完全に管理下に置けれていて、いつ逮捕ということになってもおかしくない状況にあった。

そんな原野栄二先生が戦後戦争責任を問われて京都帝国大学を追われ公職追放となったのは、戦時中、弘文堂から『世界史講座』というシリーズを刊行していたからだという。その第一巻が『世界史の理論』である。

戦時中は、いくら戦争反対と考えていても、戦争を推進する内容でないと紙の支給はなく、出版社としてはやっていけない。だから渋々戦争推進する内容の書籍を刊行しなければならなかったという話をお聞きしたことがある。

さて、戦時中の三木清はどのような活動をしていたのだろか。近衛内閣の下での「昭和研究会」で、『新日本の思想原理』『新日本の思想原理 続編 協同主義の哲学的基礎』といった評論を執筆していたらしい。これは表面的には戦争を黙認しながらも、いかにして東アジアの平和を回復することができるのか、あるいは日本は中国とどのように迎え合うべきなのかを、�犂架禿��瓩暴颪い討い燭箸いο辰鯤垢い燭海箸�ある。

三木清は、ドイツ留学後、希望していた母校京都帝国大学で職に就くことはできず、西田幾多郎の尽力によって法政大学に新設された哲学科で職を得ることができたが、その後、治安維持法違反で検挙されたのちは、法政大学を辞ししてジャーナリストとして、時局や哲学関連の原稿を書いていた。岩波書店刊行の�犂簀帆棺餃瓩法愿�学的人間学』を、そして遺稿『親鸞』等を書き残していた。

三木清は、西田幾多郎の弟子のなかでもその優秀さは秀でていたという。なのに、母校京都帝国大学では職を得ることができなかった。その理由としては、三木清のドイツ留学中の女性問題、ある夫人との不倫問題があったといわれているが、わたしは三木清がマルクス思想に傾倒していたからではないかと考えている。三木清はマルクスを�爛魯ぅ妊奪�ー流�瓩鵬鮗瓩靴茲Δ箸靴討い燭海箸魏燭�で読んだことがある。

三木清は、パスカルを�爛魯ぅ妊奪�ー流�瓩鵬鮗瓩垢襪海箸砲茲辰董悒僖好�ルにおける人間の研究』を世に問い、華々しく哲学者としてのデビュー果たした。その�爛魯ぅ妊奪�ー流解釈�瓩鬚發辰謄泪襯�スも解釈しようという企てを持っていた。ところが1932年に起きた滝川事件でマルクス主義に対する国家の言論弾圧は過激化していき、たとえ学問であってもマルクス主義を取り上げることを許さない時流となっていたのだ。

わたしは、三木清が母校京都帝国大学に戻れなかった理由がこんなところにあったのではないかと考えている。ちなみに、わたしが大谷大学文学部哲学科に三回編入学した際、わたしがカントを専攻するか、ヘーゲルを専攻するかで、西谷啓治先生と原野栄二先生とがやきもきされたという事を聞いたことがある。というのは、わたしがヘーゲルを専攻すると、いずれマルクスをも読みたくなると、西谷啓治先生が警戒されていたという事を原野栄二先生からお聞きしたことがあった。わたしがカントを専攻することにしたと、原野栄二先生から聞いた西谷啓治先生がホッとされたという話を聞いたことがある。

原野栄二先生もそうだが、西谷啓治先生も下村寅太郎先生もなぜかマルクス哲学を見下しておられた感じはあった。しかしその�犖�下し�瓩呂錣燭靴砲魯泪襯�ス哲学に対する�犒找�感�瓩任△襪茲Δ砲盪廚┐燭里魍个┐討い襦�

今日は、恩師・原野栄二先生の110回目の誕生日である。戦時中の三木清がどのような活動をしていたのかということから、戦争はいくら心のなかで�狎鐐菷紳亅瓩塙佑┐討い討癲△修里海箸魴茲靴読修砲禄个擦覆ど櫃気�ある、そんな社会的雰囲気がある。アメリカでも3.11同時多発テロの後、アメリカ国内でジョンレノンの�爛ぅ泪献鶚瓩�流されなくなったという事実があったことを忘れてはならない、そんなことを考えている。
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