人種や民族にまったく関わりなく、ワガママ身勝手な人っているんですよね。自分が安全なら他人に残酷になれる人。
家族の写真、いいですよね。
大人になって成長を止めてしまう人は多いので、もう何を言っても人格の成長は見込めない。そういう前提でないといけないですよね。家族に迷惑をかけるとか、家族に「こんな人だったのか」と思われるとか、そういうリアルへのフィードバックが歯止めになるのならぜひ実行したらいいと思います。
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なぜ人は「あおり運転」に手を染めてしまうのか
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=5419797
2017年6月、神奈川県の東名高速道路で悪質なあおり運転を受け、一家4人が死傷する事故が起きた。危険運転致死傷などの罪に問われた石橋和歩被告に対し、横浜地裁は12月14日に懲役18年の判決を下した。
あおった末に追い越し車線に停車させたため、被害者の車にトラックが追突し、夫婦が娘を遺して亡くなるという事件の凄惨さ故に、発生以降、各メディアはあおり運転の危険性について繰り返し報道してきた。
にもかかわらず、現在もあおり運転に起因するトラブルが後を絶たない。12月10日には、高速道路で前を走っていた車に対して1.4キロにわたってあおり行為を繰り返した末に停車させたとして、陸上自衛官の男が逮捕された。追い越し車線を譲らなかったことに腹を立てていたことが動機だという。
●なぜ人は運転中にあおりたくなるのか
運転技術のうまさには個人差がある。「わざとゆっくり走って、後ろの車に迷惑を掛けてやろう」などと考えて運転する人はほとんどいないはずだ。また、日頃の運転はF1などのレースではない。見知らぬ車を抜かしたり、抜かされたりしても、名誉や賞金を得たり失ったりするわけではない。
にもかかわらず、あおり運転をする人々は、ささいなことをなぜ許すことができないのか。なぜ対抗心を燃やしてしまうのか。仮にイライラしたとしても、なぜ我慢できずに行動に移してしまうのか。
怒りの感情をコントロールする手法に詳しい日本アンガ―マネジメント協会の安藤俊介理事長は「車の中は匿名の空間であり、ナンバープレートを相手に見られても、一般人がドライバーを割り出すのはほぼ不可能。正体を隠し、金属のよろいに守られた状態で相手を威圧できるので、人間の攻撃的な本性が顔を出しやすいのだろう」とみる。
「公共の場で、『どいてほしい』『歩くのが遅い』などの理由で赤の他人に因縁をつけ、暴力事件を引き起こす人は珍しい。それなのに、車道では同じ理由であおり運転が起きる。その理由は、生身であるか、車に乗っているかによって、身元のバレやすさが大きく変わってくるためだ」(安藤氏、以下同)
●「あおり運転はかっこいい」という思考から抜け出すべき
また安藤氏によると、あおり運転をしてしまう人は、高価な車に自信と愛着を持ちすぎている場合や、価値観が比較的幼い場合が多いという。
「『大きい車・高い車に乗っている自分は偉い』という安易な価値観を持つ人は少なからずいる。車と自分を同一視しているので、(小さな車に)クラクションを鳴らされるなどのきっかけで『なめられた』『けんかを売られた』と感じるようだ」
「また、あおり運転やけんかなどの粋がった行動を取ることを『かっこいい』と思う幼い価値観を持つ人もいる。彼・彼女らは、社会経験を積んだり人間関係を変えたりするなどして、そうした思考から抜け出さねばならない」
●“普通の人”も犯罪者になる
東名高速道路であおり運転を行った犯人は、事故の直前に警察車両に対してあおり運転を行っていたことが発覚したほか、被害者に宛てた謝罪文に「事故がなければ彼女と結婚する予定だった」と記すなど、奇特な人間性の持ち主だと報じられている。
だが安藤氏は「あおり運転をしてしまうのは変わった人だけではない」と指摘。「話題になっていないだけで、平凡なサラリーマンがふとしたきっかけでイライラし、あおり運転に走るケースもある。普通の人が一気に犯罪者になり得るのがあおり運転の怖いところだ」とみる。
では、前の車の速度が遅い時や、後ろにいた車に追い越された時などに、われわれがつい“魔が差して”あおり運転に手を染めることを防ぐには、どんな心掛けが必要なのか。
●社内に家族写真を貼っておくべき
安藤氏は「優先順位を整理することが重要。運転する目的は『安全に目的地に到着すること』であり、『見知らぬドライバーとの勝ち負けを争うこと』ではないことを改めて理解してほしい。そうすれば、抜かした、抜かされたといった争いは小さなことだと気付くはずだ」と提言する。
車内に家族写真を貼っておくことも勧めている。「運転中にイライラしたときに家族写真を見ると『あおり運転をしている自分の姿を大切な人たちに見せられるのか』と頭を冷やす効果がある。『警察沙汰になると家族を全て失うかもしれない』と警告する効果もある」という。
このほか、運転中にイライラを感じた時に、「大丈夫、大丈夫」「気にすることじゃないよ」といったフレーズや、家族やペットの名前など愛着のある言葉を、口に出したり頭の中でつぶやいたりする方法もわれに返る上で効果的としている。
●決してあおり返すな、外に出るな
ただ、こうした心掛けによって衝動を抑えていても、道路で見知らぬ車にあおられ、自分が被害者になるリスクもある。こうした場合はどう対処すればいいのか。
安藤氏は「自分自身が他の車にあおられた場合も、決してあおり返してはいけない。やり過ごすのが一番だ、繰り返しになるが、運転の目的は安全に目的地に到着すること。エネルギーはけんかではなく、他の大切な事にとっておくべきだ」と強調する。
「もし相手のドライバーが『降りて来いよ』などと挑発してきた場合も、決して窓を開けたり外に出たりしないように。車内に残ったまま、速やかに警察を呼ぶのがベストだ」
●自動運転の時代が来れば……
運転中にイライラしてしまう人を減らすため、日々啓蒙(けいもう)活動を行っている安藤氏は、あおり運転を巡る事件や被害をゼロにするためにも、自動運転の技術が実用化される時代が早く訪れてほしいと願っている。
「車は便利な反面、ドライバーの一時的な怒りや不注意で人を死なせてしまう負の側面を持っている。これを解消するため、技術が進歩し、人が運転しなくてもいい時代が来てほしい」
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(超耳)
>自動運転の技術が実用化される時代が早く訪れてほしいと願っている。
平成が終わろうという時代ですけど、まだまだ交通事故による死者がいます。
2017年で3694人。
1万人超えの時代を知っている身としては「世の中はほんとうによくなっていくんだなあ」と実感のわく数字です。
でもたぶん未来の世界から見れば「こんなに死んでいて、あの時代の人たちは外に出るのが怖くなかったの?」と訝しげに見られること疑いない数字です。今でも十分巨大な死者数ですよね。
自動運転によるのかどうかはわかりません。でも交通事故死者数はきっと激減すると私は強く確信しています。今までが異常すぎたという理由によります。
私たちの文明のレベルの低さを嘆くのに十分なほど、利便性だけは及第点になった自動車が、まだまだ人を死なせています。未熟なことですね。
情報を届けるのにガソリンを燃やしてトルクに換えて鉄の車体を走らせる。なんと原始的でしょう。石器時代の伝言作業の延長線上に生きているんですよね。
IT革命(死語)の時代を迎えました。情報だけ伝えれば事足りることは情報だけ伝える。これも解のひとつですよね。
自動運転か、それとも脱物理移動か、それ以外の何かはわからないんですけど。
今はまだ文明の黎明期ですので、「煽り運転を控えよう」という対策がいるんですよね。
個人的には先程のIT革命の流れがかっこいいなあ、望ましいなあ、と思います。
知覚拡張による物流のスリム化から、交通事故死者数の激減が果たされるのはスマートですもん。
目も耳も皮膚感覚も、べつに生まれ持ったモノだけで満足しなければならないルールはありません。好きに拡張すればいいですよね。
自前の指で触れても、ちょっとだけ(たとえば2万キロメートルとか)延長された光ケーブルの向こうにあるマニピュレータが触れても、同じ電気信号が神経から届けば、私たち本体の脳に区別はつきません。「本物の感触」とかいうバカワードで批判する人でもなければ、なんの違いもなく、いくらでも拡張できます。たぶん私たちの寿命が尽きるよりは早く実現するんじゃないでしょうか? WBS(テレビの報道番組)とかでよく新技術としてそれっぽいのが紹介されていたりしますよねー。
自動車になにもかも頼ってしまうという現状がすっかり変わってくれるパラダイムに早く移ってくれないかなあ。
バーチャル空間でも、リアルバレしない安心感から煽りとか起こりそうです。ネット掲示板とかで繰り返された歴史ですよね。
私たちの心理や自制心って安定しないものです。だから家族の写真でも、ほかのものでも、歯止めになってくれる工夫は必要とされるのかもしれませんよね。
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