落語家の桂歌丸さん死去 81歳
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桂歌丸、亡くなる、ですか。落語芸術協会の会長であり、昭和41年から平成28年までの50年にわたって(一時期降板していたことはあったが)日テレの「笑点」の顔的存在として親しまれてきたのはあまりにも有名ですが、横浜の妓楼の家に生まれたと言うその出自から、女性の仕草を演じることには長けていたと言われ、「横浜・真金町の師匠」の異名でも知られるように、地元にある三吉演芸場での独演会や横浜にぎわい座館長など、地元の横浜をこよなく愛する落語家でもありました。
しかし、何と言っても桂歌丸と言えば「笑点」。昭和41年の放送開始からの大喜利レギュラーメンバーであり、実質的に「ライフワーク」と言うべき存在でもあったと思います。中でも印象深いのが、やはり「キザ」の三遊亭小圓遊(←三遊亭金遊)と「ハゲ」の歌丸との丁々発止の罵倒合戦でしたね。三代目の司会者三波伸介時代の“呼び物”であり、毎週の楽しみでもありました。しかし小圓遊はその罵倒合戦で注目の最中の昭和55年に43歳で公演先の山形県で客死、過剰な酒の摂取があったとも言われ、その「キザ」を演じることとの葛藤が遠因だったのではと、歌丸自身も述懐していたようです。
その後、大喜利レギュラーメンバー入りした五代目三遊亭圓楽の弟子である三遊亭楽太郎(現六代目円楽)とも罵倒合戦を繰り広げ、五代目の司会者になっても続きましたが、それが歌丸の発案だったと言われ、番組でのポジションやキャラクター作りに悩んでいた楽太郎に道を開いたとか。
三波伸介が司会者在任中に亡くなってからは五代目三遊亭圓楽がその後を受けて23年続きましたが、体調不良で四代目の司会者を勇退した後、70歳を迎える平成18年に五代目の司会者の座に就いたのが桂歌丸。10年の期間の中、特にその後半期には長年苦しむこととなる肺水腫などでの体調不良で番組を休むことも少なからずありましたが、「笑点」と言う番組を最もよく知るこの人らしい感覚とスタイルで話題を振り撒き、解答者時代から引き続き変わらぬ高視聴率ぶりを牽引してきた原動力になっていましたね。特に座蒲団の出し入れの過激さはかつての三波伸介時代を彷彿させるものがあり、大喜利のオープニングの挨拶から楽太郎(→六代目円楽)の座蒲団を没収したかと思えば全員の座蒲団をすべて没収し、オンエアの始まりから終わりまで全員の座蒲団をすべて没収したままにしたのが記憶に深いですね。
司会者を勇退後も各地で寄席の高座を精力的に務めましたが、持病ともなった肺水腫などでの入院も多くなり、入退院を繰り返しながらの高座でしたね。この4月も国立演芸場の定席のとりを務めていたようですが、19日の「小間物屋政談」が最後の高座だったとか。
ただ、残念だったのは、平成16年から務めてきた落語芸術協会会長の座を引き継ぐ人材を見出だせなかったことかも知れません。笑点大喜利メンバーに加わり、その司会者の後継者となった春風亭昇太(協会理事)などがいますが、自身も注力していた後継人材の育成や芸や噺などの継承をリードしていくミッションがあるだけに、ではあります。
享年81。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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