例によって記事とは関係ありませんが。
阿部仲麻呂が生まれたのは698年だそうですので、710年の平城京遷都当時は12歳ということになります。仲麻呂のおじいさんに当たる人は蝦夷を征伐した後で663年の白村江の戦いに参加し、その後九州防衛の責任者になった人物なので、超優秀な軍人です。歴史上時々あることですが、軍人崩れの貴族は素養のなさを笑われることも多く、子息に過剰なほどの教育を施し、その結果優秀な文人を生む例があります。阿倍仲麻呂もそうして生まれた超優秀な天才のひとりです。
そんな彼は弱冠20歳にして遣唐使に選抜されて唐に渡り、数年で中国の超難関国家試験をクリアして唐政府の高官になります。結局帰国する機会を得られないまま中国で天寿を全うしてなくなるのですが、そんな彼が中国で読んだのが
天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも
という有名な句です。故郷奈良の、春日大社のあたり。三笠山に昇る月を偲んで歌ったのだ・・・というのが一般的な解釈なのですが、どうも奇妙なのです。
まず歌の構造が、シンプルに故郷を歌いすぎててひねりがありません。百人一首は思わせぶりな、ある意味深い歌が多いですし、その辺の歌人よりも一枚も二枚も上の天才の句としては物足りなさが残ります。
そして地理的な問題として、春日のあたりから見て三笠山に月が昇ることはないのです。さすがの天才も故郷ボケしたか??と思うのもアリですが、その前に考察を加えると、奇妙な一致を見せるのが北九州の地名です。
北九州には御笠と呼ばれる丘陵地帯があり、さらに春日という地名も存在します。そしてその春日を流れる御笠の川を遡ると、おじいさんが駐屯した軍事の要、太宰府へとつながります。御笠の山に月が昇るとき、春日からその方角を見るとおじいさんと共に暮らした太宰府がある・・・これは偶然の一致でしょうか。
一方で奈良の春日は、少なくとも今わかっている範囲では、阿倍仲麻呂にゆかりのある土地ではありません。「幼い頃に遊んだ奈良の春日の地を思い出して〜」という解釈は、国語的には可能でも、歴史的には不可能です。奈良の春日は、時の権力者である藤原氏の本拠地であり、聖地です。春日大社は藤原氏の氏神様です。
実は阿倍一族と藤原一族は台頭する時期が同じで、天智天皇の頃に歴史の表舞台に登場します。ところがその後藤原氏が次々に功績を打ち立てて権力を高めていくのに対し、武功は立てながらもあくまでも地方の軍人扱いであった阿倍氏とは対比を強めていきます。実際に、超優秀軍人のおじいさん、阿倍比羅夫が仲麻呂の幼少期にまだ九州で将軍をしていたのか、朝廷に戻ったのかすら定かではありません。
仮にこの歌が奈良で歌われたものだと仮定した場合、春日の御笠の山から月が出るように見える場所が1箇所だけあり、それは朝廷。平城宮があった場所です。
天の原(朝廷)から見ると、藤原氏の本拠地である春日の、三笠山から月が登ったようだ。
政敵である藤原氏が実権を握ってしまった。もう日本には帰れないなあ。そんな歌かもしれません。実際、阿倍仲麻呂の晩年、弟が政治的陰謀に巻き込まれ、有耶無耶な裁判を経て、中央政府のお達しで失脚します。と言うか、死刑に処された可能性が高い。時代は藤原四兄弟の隆盛期。由緒正しい軍人で、優秀な阿倍一族は邪魔だったのかもしれません。体良く中央政府から遠ざけられた孤高の天才。遠い異国で名を上げ身を立てても、政治の思惑通り、帰還叶わぬ悲劇・・・。
本当の解釈がどういうふうかはわかりませんが、なにぶん天才が残したものですので、そうして深読みしてあげるのも供養の一つかなという気もします。
ちなみに阿倍仲麻呂が登場する妖猫伝(邦題・空海-KUKAI-)は超期待はずれでした。あれ本人見たら怒るぞ多分。
■「JR小倉駅も浸水」 千年に1度の豪雨想定し見直し
(朝日新聞デジタル - 04月30日 08:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5092489
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