女性不信と男性不信は少し発生原理が異なる。
男性不信は基本的に、特定の誰かが発生させるものだ。
やさしそうと思ってついていった人が暴力的だったり、きっかけになる特定の人物が存在する。まあ、この形は普遍的なので、同じ形の女性不信も存在する。この形は一旦許容した相手に拒絶されるという形をとる。
・許容→拒絶
・告白してきた相手なのに(受け入れたのに)→浮気される(拒絶される)
一方で、男性の女性不信は、上記と同じタイプのものも存在するが、「特定の女性ではなく、集団あるいは象徴としての女性」が拒絶→受容することで発生するものが存在する。例えば大学のサークルのレイプ事件などに対するコメントを見ながら深層心理を探ってみると、
一般的な女性は自分を拒絶する→にもかかわらずあからさまに危険な相手を許容する
いうパターンが根底にあることに気づく。しかもこの形の場合、前段階が非常に曖昧で、心理的に省略されている。
・俺とは飲まないのに(拒絶するのに)→危ない相手と飲みに行く(許容する)
※その女性が拒絶したわけではない
・俺とは帰らないのに(拒絶するのに)→危ない相手と帰る(許容する)
※その女性が拒絶したわけではない
結果的な批判の形
・そんな危ないことをするからそうなるんだ
まあ言ってみればひがみのようなものだが、やっぱりあんな暴力男のどこがいいんだかわからない、と言う感覚は男性なら誰にでもある。同意する女性もいるにはいるが、結局はその女性も当然女性的な価値観だったりする。
この手の感覚の隔絶は女性側からは理解しがたいらしく、
・酔っ払って前後不覚になる → 財布を抜かれる
・酔っ払って前後不覚になる → レイプされる
男性から見ると同じ論理構造だが、女性側から見ると同じではない。私もこの論理構造を女性が理解してくれないことにいつも驚かされるが、ここまで理解されないと根本的な感覚の断絶があるのだと思い知らざるをえない。
芸能界で活躍するという字面は、男性から見ればいつ場末の裏通りで全裸死体で転がされてもおかしくない(男女問わず)ギャンブルだが、女性から見ると輝く大理石の階段のように見えるようだ。こんなもの、男性がどう議論に口を出しても意味はない。制作費だなんだというのも表面的な問題に過ぎない。
サークルレイプ問題と同様、男性はただただ女性の安全を願いつつ遠巻きに見ているしかない。だって男性がいくら忠告したって、それは全く忠告としての価値がないのだからね・・・。
AV問題、作品削除窓口を開設
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4995122
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