杉田発言問題あれやこれやラス前の一席。
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待機児童はそもそもが、実質的には待機保護者だった。
という事実は認めないと行けないし、この10余年で完璧なまでに「待機しているのは保護者」と言う図式は出来上がっています。
これらには、マスコミや野党を含めて自民党を叩くためには言葉の誤用やあえて誤解させる方法での言い回しを多用した事が挙げられると共に、自民とは違う!を強調する余り社会制度の根幹を見ず表面だけを良くするために謂わば砂上の楼閣な制度にしてしまった事、なんてのも挙げられるのですね。
それは自民党政権でも同様の問題を起こしている人はいて、例えば小泉内閣の改革は抜本的な部分をいじってあと放置、みたいな状態になってしまってるのは結構多い状態です。
この小泉改革の問題は、発達障害児の育成や療育、保育等に親の負担だけを残したりしたのですが、これすれも反自民の為に動くマスコミや野党の国政の妨害の所為と言う側面も無いわけではないのですね。
勿論、だから自民党大正義と言うわけでもございませんが。
こういう、声だけでかいマイノリティの我儘利己主義者や子育てを理解せずに政局に利用する、政権打倒のためには本来もっとも制度の利用を求められる人達を無視して、怠惰な親等を持ち上げたマスコミや野党の力がもっとも社会の子育てシステム、家族としての子育て環境、地域の子育て環境等といったものの破壊を加速したのはやはり大きな問題であり罪である、と言う事になるとは思います。
実際のところ、第2次安倍内閣後には自民党への好き嫌いは抜きにして子育て環境や教育、療育の環境等は改善をしていますし、問題となる育児や保育、療育を謳っている施設等は立ち行かなくなったのも多いと言う現実があったりもします。
それに対して、子育て環境を破壊していると言う風に言うのも居るのはありますが、しかし子供の安全や育児環境の健全化を望むなら「不適切な施設」は閉鎖しなければ逆に子育てを阻害する事になるのですね。
実際、放課後の保育を行い託児を行う施設がちゃんと療育、躾をせず放置しているだけの所為で子供の多くが我儘が通る、好きなことだけをしていれば良いと言う風に思い込み、またやるべきをやらない、いざとなれば誰かやってくれるなどという困った状態を作り出している問題は、10年近く前から増えているのですから、改善しないと駄目なのです。
なにしろ、そういう生活に不適合となった人が大人になるとどうなるかは、引きこもり問題を見れば判るかと思います。
これもメディアが引きこもる少年・少女は繊細なガラスの心を持っているとか言う事を言って持ち上げた90年代後期の残した負の遺産です。
ガラスの心だから壊れやすい、なんて言ってたドキュメンタリー風味の番組もありましたがガラスは割れたら破片があちこちに飛び散って人を傷つけんだよ!なんて言うツッコミをブログ等でした事もあったりしました。
さて、ではどうしたら良いのか?
ちゃんとした子育て環境の復活はどうすれば良いのか?
感動ポルノを作る余り、社会を数十年に渡っておかしくした大手マスコミ等の責任はどうするのか?
これらを考えないといけない事になるのですね。
感動ポルノと呼ばれるレベルのものまで作られた結果、男女問わず片親になれば支援が受けられるからと偽装離婚するなどと言う事例もないわけじゃないです。
また、結婚したら女性の権利が阻害される!女性に自由を!と日本の現状を考えずに海外被れなだけの自称フェミニストが騒いだ結果、女性が自由恋愛の名の下に不倫に走る等もあったりもしましたし、それを助長させるような小説が乱立したのもあったりしました。
略奪愛なんて言って、純愛の一種のように言ってたドラマだか小説だかもありましたが、要は不貞ですから男女問わずそれらは断罪されないといけないのに女性がやるとロマンス、男性がやると不倫みたいな雰囲気を醸し出す人まで社会に目立つ事になったのは非常に問題ですし、それによって子を捨てる親と言うのも目立ったのも事実です。
これら様々な積み重ねによる子育て環境の破壊が、今の混乱と待機児童と言う言葉の一人歩きをしていますし、行政は言葉の使い分けをしなければいけないし、言えない言葉もでてきます。
モンスターペアレントの増加で、保育士の成りてや継続的な就労が減っているのもあります。
この様な情勢下での、ちゃんとした子育て環境を作る、というのにはまず何をしたら良いのか?
と言う事を考えないといけませんが、まずやるべきは言葉狩りへの批判でしょう。
過去に不遇な子供時代を送った人や、共働き等で託児されることが普通だった人、鍵っ子と言われた人が、現代の状況を表す子育て問題の批判に過去の自分達を当てはめて批判する事は、言葉狩り勢力にとって非常に有利です。
これを辞めさせないと、過去のマトモにそういう経験をした(と、言うのも変な言い方だが)人達の経験も現在その問題に直面している当事者には同じ様に見えてしまう現状もあります。
子供が居るいないの問題でも、家庭の環境の問題でもなく社会の存在する問題のある人達の問題なのだと言う意識を持ってもらわないと子育てや保育、託児、育児、療育、教育のマトモな運用を妨げる事になります。
現実に、モンスターペアレントなんて事を行政や政治家が言うと叩きやすい環境があるにはあります。
行政が、困っている親にレッテル貼りをしていると言うラベリングをそういう利己主義的なモンスターペアレントが騒げばそれに乗るメディアや野党議員はでてきます。
これによって被害を受けるのは、現在子育ての真っ只中にいる『家庭』ですし子育てや療育や教育に関わる人達です。
言葉を言葉として捉え其の意味とそれの意図する事を理解しての批判であれば良いですし、そうでない場合の感情論は言葉を選ぶ必要が出てきます。
ネットでの発言は、公的なものです。
世界に発信している以上、社会を変えるだけの意識をもって発言しないとならない時もあります。
ところがそれだけではなく、感情をも表さないといけない時もあったりします。
難しいところですがまずは声を上げる事と上げ方を選ぶ事がちゃんとした子育て環境を作る為に必要だと思うのですね。
そして、人の好き嫌いで判断を誤ってはいけません。
これは学校の先生や保育士、障害者福祉等に関わる人の多くにいえる事ですが、自民党だから嫌いだ!で全否定みたいな人もまだまだ多いのです。
でも実際には非自民党でどうだったか?
より苦しくなっただけと言う答えもあります。
楽になったと思っている人は、ある意味では全体主義的な右に倣え、左に倣えをやってしまっていただけかもしれません。
つまり、自分の好みと現実の正解・不正解を見て状況に対応できるようにしないといけないのですね。
それができない事が多いと、例えば町の頑固爺や角の怖いおばちゃんみたいな存在が通報されたり苦情を入れられたりして、子供の躾や危険回避等をできなくなることも多いです。
実際、声掛け案件は老人が注意したことだったりと言う話もありますし、危ない事をしたり他者に迷惑をかけた子を叱った爺さんがクレーム入れられて謝罪させられる、等の話もあったりします。
正解と不正解や正道と邪道をちゃんと見極める、と言う事をもう一度しないとちゃんとした子育て環境は作れない、と言うもっとも基本的な事の再確認が第一歩だと言う状態なのです。
次回最終回「それでも問題は指摘されないといけない」
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