今回は、ざっくりとモンスターペアレントと社会と政治の関わりの話。
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実のところ、なにもモンスターペアレントは2000年代になって急に生まれた訳ではありません。
80年代の終わりから90年代にかけて生まれてきて00年代から急激に社会での勢力を伸ばしたと言うのはあります。
それは元々はクレーマーな保護者と言う認識だったかもしれませんが、段々と利用価値があるとなると利用され増長され、そして社会の必要、不必要や優先される順位等を無視して自身の要求だけを通す様になっていったのですね。
最初は、障害を持つ子のいる家庭から派生したクレーマーだったかもしれません。
または、介護の問題を抱えた家庭からかもしれません。
それらが複合的に同時多発なのかもしれませんが、本当の意味での意見や要求等ではなく単なるクレーマーである保護者や家族は、それでも少なくとも90年代前半までは行政が拒絶する事はできたりしました。
しかし、バブルが弾けて政権が交代してさらに景気が悪化するような事が続くと、新聞等のメディアは自民再登板ともなればそれらを利用したのは否めないと言う判断も必要なのですね。
実際に、共産党の一部下っ端等はこのクレーマーの言う事を鵜呑みにして行政を叩いていたところもありました。
しかし、マスコミがDINKS等の新しい価値観!!なんていうのを振りまいたり、親でも一人の人間!と言って責任逃れを推奨するかの様な姿勢を強めると色々と変わってきます。
親になったら自由がないのか、個人の楽しみはだめなのか!
なんて騒ぐクレーマーペアレントとなり後々、モンスターペアレントとして成長していきます。
いや、進化か。
現実に、親になったなら諦めなければいけない自由や楽しみは多く存在します。
また夫婦となった場合でもその様な例はあったりします。
例えば親になった以上、自分達が望んで作った子供です。
その子供に対する責任と義務が生まれ、それを遂行しなければいけません。
これは少なくとも2000年代までは片親であろうと両親であろうと親になったモノ、親を全うする意思を持つ人は共通して持っていて、わがまま勝手な親や大人を叱責する立場であり諭す立場を持っていた人が多数派でした。
しかし、社会の動きというかメディアによる誘導は親もまた人なのだから自由と楽しみが有って当然と言うようなことを行いますから、それを根拠に子供の放置や育児放棄、児童虐待等を肯定する親だった人がいないわけではないのですね。
そして、少子化を煽り子供を社会の宝として地域で子育てと言う話になりますが、しかし。
そんなの日本では過去からあって、悪いことすりゃあ怒る雷親父なんてザラにいましたし、悪い子を諭す近所のばあちゃん的存在だっていました。
なんですけれど、それらを社会から排除する動きを創り政治の中でそれを良しとさせて社会での子育て、地域での躾と言う概念が通用しない状態を作ったのは、なにあろうマスコミの言う事を鵜呑みにして社会のあり方を変えてしまった良識的な市民を自認する方々、といっても過言ではないのですね。
加えて、耳に優しい子育てや障害者福祉、障害児教育の事を言う野党や自称識者や専門家の言葉に流され本来行うべき重要な事を無視してしまったのも社会を構成し、牽引していると自認する良識的な市民や熱心な親を自称する人達と言っても良い訳です。
なぜそれが言えるかというと、津久井やまゆり園の事件を思い出してくださればわかると思いますが、言ってしまえばド田舎です。
辺鄙な場所で人も少なく、住宅も少なかった場所にその手の施設は追いやられるしこれはいわゆる孤児院でも同様。
それは、良識的な市民を自認する人達は社会を良くする為の努力は他者の仕事でよそが責任を持って受け入れろと言う姿勢を意図してもしなくてもやってしまった事によるのですね。
孤児院今は、児童養護施設なんでしょうが、これだって利便性の良いところには作れません。
社会は子供を守れとか政治は弱者を切り捨てるなと言う事を言うその人達は利便性の高い都市部や住宅地周辺には治安の悪化や安全性の不安を盾に認めない事が多く、またそれらを支持者に持つ政党や政治家はそれらの施設や人をよその辺鄙なところへ移動させるために尽力した結果、だったりするのですね。
したがって、良識的な市民、熱心な保護者を自称する人たちほど他者や不遇な人や子を排斥してきた差別してきたと言う問題はあったりします。
また困った事に、メディアもそういう自称良識的な市民や熱心な保護者の声しか聞かないし報道しないなんて言う状態だったりしました。
無認可保育所で事故が起これば与党のせい、政府の所為。
でも実際には保育所建設を反対する良識的市民の問題だと思いますし、都市部や住宅地にそれらを作らせないやらせないと、でも権利をよこせと言う人達の問題だったりするんですよね。
その結果、子育て、育児、保育、託児、教育、療育と言ったものは破壊され、同時にモンスターペアレントの跳梁跋扈を許す社会になってしまいました。
これは一重に社会の自分の権利だけを主張したい人達を容認した結果のトラブルですし、政治もちゃんと対応できない、しないさらには政治家や政党という存在が野党である場合票田確保のために多少の問題はあろうと、優遇させた結果、なのですね。
これにより、前に言いました本当にそのサービスを必要としている人が受けられず、またそういう本当に事情がある人や家庭を無視する結果になったのですね。
そして2007年、08年を境にモンスターペアレントと言うノイジーマイノリティが幅を利かせる様な事になったのは、与党が民主党となり大衆迎合、というか大声迎合の政治をした結果だと思いますし、利益ばかりを追求することになった自称報道機関の大手様達の所為、と言うのはあると思います。
もっとも、これらの問題に対して地方局、と言ってもTVKはそれらしい活動をしてたとは思えませんがその他の地方局は微力ながらも問題を提起すると言う事を多々行っていたのは事実なのでメディア=総悪人!と言う認識をもってはいけない事にもなります。
問題があると思ったら大手メディア、民法キー局やNHKと言ったところより地方テレビ局に言うほうがちゃんと報道してくれるかもしれません。
予算が許せばドキュメンタリーの一本でも作ってくれるのではないでしょうか?
と、話がずれてしまいましが、しかし08年を境に勢力というか影響力を強めたモンスターペアレントとその一団は数の総体は少ないなれど、マスコミや野党の後ろ盾を得て既存の「保育所の必要がある人」「幼稚園の利用が必要な人」「託児サービスの必要な人」等を覆い隠しあるいは、自身の利益のために駆逐し単に親のエゴと言う親の都合で預けたがる人達だけが目立ちまた、その声ばかりが表に出る事になったのです。
そして、本来必要としていた人達は、今は声を出せないあるいは地味に探すしかない状態です。
正直なところでいえば、保育園落ちた日本死ねなんてかける人はそれだけ余裕がある人で、託児や保育施設の利用を絶対必要とする人ではない、と言うのが現場側からの意見でしょうか。
実際、それの代弁者だった山尾しおり議員は不倫疑惑(限りなく黒い)の上、弁護士とホテルで会う時に子供を預けていたと言う話もあったりします。
しかし、この10年余りでモンスターペアレントやそれを擁する方々の所為で問題は多くなり同時に言えないけれど言わないといけない、と言う事態も生み出したのですね。
次回「言葉狩り」編
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