東京で体感する中国低層の絶望的な閉塞感
映画『苦い銭』で考える中国の行く末
山田 泰司山田 泰司
2017年11月24日(金)
中国の大都市で建築現場の肉体労働者や飲食店のウエーター、ウエートレスとして働く出稼ぎ労働者「農民工」たちが見てきた原風景を求めて、上海から安徽省の農村に通ったことがある。いま思い返してみると、最も通い詰めたのは2006〜2010年にかけての時期。2008年の北京五輪をまたいで2010年に上海万博が閉幕したぐらいの時代だ。
この当時、中国では既に中国版新幹線こと高速鉄道の整備は既にかなりの程度進んでいたが、私が訪ねた農民工らの自宅がある安徽省の黄山のふもとや揚子江(長江)流域のあたりにはまだ届いていなかった。だから私はいつも、上海発着の長距離バスを利用していた。
中国は長距離バスの路線網が発達していて、新宿の「バスタ」のような規模の長距離バスターミナルが、例えば上海だけでも5〜6カ所ある。バスターミナルからは5分程度の間隔でひっきりなしにバスが発車するのだが、その行き先がまたとてつもなく多い。見たことも聞いたこともない地名のプレートを付けて出発するバスの群れを見送りながら毎回のように「中国で十数年暮らしているというのに、ほとんどの土地を訪れることなくオレは死んでいくんだな」という敗北感のようなものを感じる。
蘇州、杭州、南京といった大都市ではなく、農民工らの故郷のような小さな町に向かうバスを利用し始めてすぐに、奇妙なことに気付いた。毎回、始発のバスターミナルから乗り込む人数が極端に少ないのだ。私1人だけ乗せて出発したことも1度や2度ではない。
最初のころは、「地元の人間しか知らないような田舎の町に向かうバスの利用者などやはり少ないのだな」「いくらなんでも客が1人しかいないなんて、遠からず廃線になってしまうだろう」「それにしても、へんぴな農村に行くというのに他に誰もいないなんて、心細いことだ」など様々なことを思いながら出発するのだが、5分もしないうちにこれらの疑問や不安は解消する。
発車したバスはほぼ例外なく、ターミナルの建物がまだ見えるあたりで赤信号でもないのに道ばたに寄せ停車する。怪訝に思って車窓に目をやると、そこにはカバン代わりにした米や肥料の袋、業務用のペンキが入っていた大きなバケツ、掛け布団、扇風機等、手に手に大荷物を抱えたあまり垢抜けていない服装をした老若男女が待ち受けていて、我先にと私が乗っているバスになだれ込み、ガラガラだったはずのバスはたちまち阿鼻叫喚の修羅場と化すのであった。
34円の重さ
切符を持っている者は皆無で、皆バスの中で乗務員にカネを払っている。聞けば、こうした農村に向かう長距離バスはほとんどが運転手と乗組員らのグループによる個人経営で、ターミナルから客を乗せると売上に応じた手数料をターミナルに払わなければならない。それがターミナル外で乗せれば手数料が不要になるので、運転手はその分、正規料金から割り引いて売るのだ。
少しでも安く買いたいという客側の心理は理解できる。しかし、正規料金で買えば座席は確保されるが、割引で乗った場合にはその限りではない。そして、ターミナル外から乗った場合にいったいいくら安くなるのかと言えば、最大でも5元(85円)、少なければ2元(34円)程度なのだ。
一方で、目的地に着くまでの所要時間は6〜10時間。固定された座席に座っていてさえかなりの疲労を覚える移動時間だが、席にあぶれた20〜25人程度は、運転手が補助席代わりに用意したプラスチック製の風呂椅子に座り苦行に耐えなければならない。わずか数十円を浮かすために冒すにはあまりに大きいリスクに思える。
しかしその後も、ターミナルから乗るのは私を入れて多いときでも5人程度で、ほとんどの客はやはりわずかな割引を求めて非正規の場所から乗り込んできた。風呂椅子の上で膝を抱えている彼ら、農村からの出稼ぎ労働者「農民工」たちの疲れ切った表情を見ながら、私は徐々に彼らにとっての2元や5元の持つ意味を体感し、その背後に広がる彼らの日常取り巻く環境を少しずつだが理解するようになっていった。
真っ黒に煤けた町
中国を代表するドキュメンタリー映画の監督として、特に欧州で高い評価を受けている王兵(ワン・ビン)の2016年の作品『苦い銭』(2018年1月よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー)も、農民工を描いた作品である。雲南省、河南省、安徽省の農村を出て彼らが向かう先は、浙江省の湖州という町。住民の8割、数にして30万人が農民工という出稼ぎの町で、個人経営の縫製工場が1万8000軒、中国の子供服生産の7〜8割を手がけることから「子供服の町」と呼ばれているというのは、東京駅に近い試写室でもらったパンフレットで初めて知った。
ただ、私は個人的に、極めて強い印象を持っている町でもある。上海から安徽省の農村に長距離バスで通っていた際、必ず経由するのがこの湖州という町だったのだが、車窓から見るこの町の空、住宅、クルマ、工場と目に入るどれもこれもが、沿線のどの町よりも煤けて真っ黒だったのだ。まるでこの町の上空から石炭の粉でも振りかけたかのように。中国でPM2.5による大気汚染が表面化したのは2013年末のことで、私が湖州を通っていたのはその4〜5年前のことだったが、大気汚染の警報が最悪レベルを付けた上海のどの日よりも、湖州の町の空は汚れていた。
先の見えない閉塞感
王兵はこの作品で、この町の個人経営の縫製工場で黙々とミシンを踏む農民工たちの日々の姿を、恐らくはあえて退屈なほど淡々とカメラで記録していく。勤務は通常、朝7時から夜0時まで、宿舎は3畳ほどの窓のない相部屋と十分苛酷ではあるが、一方で特別なドラマは何一つ起こらない。しかし、せっかく洗濯したのに干せばかえって汚れてしまいそうな工場宿舎の煤けた物干し場、早朝から夜中まで大音量で歌謡曲が流れ続ける作業場、職場にいようが宿舎に戻ろうが、どこにいても途切れることなく町から聞こえてくるクラクションと人の喧噪、残高が2元と知り電話をかけるのをあきらめふて寝する四十路の男性従業員、仕事は真面目で早くて正確だが、1人騙せば1500元(2万5000円)、2人も騙せばいまの月収以上が稼げるからと、マルチ商法で逮捕された容疑者のニュースを見ながら、あえて手を出そうと悩む、やはり四十路の男性従業員。農民工たちの日常、そして人生に充満する閉塞感が、スクリーンを通して私たちに生々しく迫り、窒息しそうになる。
ひと仕事終えいったん故郷に帰るという農民工の1人が手にしたその月の報酬は1710元(2万9000円)。彼女は社長とやり合った末、2元の上乗せを勝ち取り、「社長の気前の良さは2元ね」と捨て台詞とも勝利宣言ともつかない言葉を社長に向かって投げかける。
2014〜16年にかけて撮影されたというこの映画でもなお農民工たちは、10年前に私が長距離バスの中で遭遇した農民工たち同様、2元にこだわらざるを得ない生活を余儀なくされているという現実に、言葉を失う。次の10年まで、彼らがこの閉塞感に絶望せずに生きていくことができるとは到底、私には思えない。そして中国の農民工たちの一見、淡々としているが、しかし確実に切迫の度合いを増している現状を世に知らしめた王兵の仕事の持つ意味は、遠からずより明確になることだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/258513/112200057/
日本のマスゴミが報道している支那の繁栄は沿岸部の1億数千万人の支那人の生活風景でしかありません。
10億人を超える内陸部の支那人は相変わらず貧困生活に喘いでます^^;
>次の10年まで、彼らがこの閉塞感に絶望せずに生きていくことができるとは到底、私には思えない。
今先進国では景気が上昇中ですが、僅かでも停滞したら支那はいきなり崩壊するかもです。
ソ連が崩壊した時も呆気ないものでした^^;
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