mixiユーザー(id:32017195)

2017年11月27日00:26

229 view

宮本武蔵

某セールスの方と学歴の話をしていて、宮本武蔵の話になった。

宮本武蔵が好きなんだという。
なかなか渋い趣味である。

私は史記が好きなので、まずは横山版をぜひ手元にという話をしたのだが

よく考えたら、宮本武蔵はなにもしていない人である。

無学にして吉川英治版のベースしか知らないのであるが
まーその程度で十分であろうかという程度の歴史の人物である。

社会的名声が大きいわりに、歴史的な名声は強くない。
剣豪は学問的にはどうでもいい人なのだ。

これが江戸時代なら孔子並みになっていたであろうかと思う。

宮本武蔵は剣豪で、剣術試合だけが歴史に残っている。
佐々木小次郎以降の宮本武蔵は誰も知らない。

私が知っているのは、就活に全滅し、洞穴に引きこもって
五輪の書なるわけのわからない、なんとなく自己批判+自己哲学の読み物を残したことである。
五輪の書は兵法書なのだが、もちろん現代にその中身を知っている人はほとんどいない。
読んだことはあるのだがさっぱり訳が分からなかった。
学者でよくある、自己陶酔的で難しい言葉をならべすぎて
わかりやすくないからなんとでもとれる書き方をしている
「簡単なことを難しく書いた書」のように見えてしまった。

有名なのは孫子、あとは虎の巻で有名な六韜+三略であろう。
六韜三略はだましにすぎて破滅をさそう悪魔の書ともいわれる。

古今東西で孫子を超える兵法書はない。

山鹿流兵法や九鬼水軍はじめいろいろ兵法書があるが

結局万物に使える意味で孫子を超えるものはない。

あえていえば古代インドのカウテリヤの実利論がそれに比肩するが
この白眉は六韜三略に近いスパイの勧めである。
パリで絶版の上巻をみつけて思わず買ったのを覚えている。
それは一回しか読んでないがまだ家にある。秘蔵の書だ。

五輪の書がそれらにひしてどんな評価なのか、よくお分かりかと思う。
だから私の宮本武蔵は結局なにもしてないよね?という話になる。

しかし宮本武蔵がダメ人間というわけでは決してない。

彼の白眉は、名前を残したことだ。

世の剣豪、つまり世界で言うサムライで知られるであろう人物に
かならず将来”MUSASI”が出るだろう。
出ると思わない人はいないのではないか。

鹿島の塚原卜伝(剣豪の走り)
江戸の千葉周作(今に続く剣道の正眼の構え・鶺鴒の構えを生み出した人)
無流の宮本武蔵(二刀流)
柳生の石舟斎(真剣白刃取り)

これが多くの人が知る剣豪であろう。
剣豪で言えばこれに幕末の山岡鉄舟が入る。

新選組はじめ幕末の剣士は剣豪ではなく剣士である。
流を作るに至った人々ではない。

したがって、宮本武蔵は間違いなく名前だけは残っている。
多くの人の心に響く生き様を残した。

ここで私とセールス氏の会話にもどる。

なにもしてない宮本武蔵だが、名前を残した。これは面白い。
最初から名前を残すことだけを目的にしていれば、
間の永達や金銭的成功ははたして必要なのだろうか?
必要ないほどの名跡を残したのが宮本武蔵ではないか

宮本武蔵の実力が勝ちすぎて世間的な成功を得られなかったが
間違いなく名を遺した。
名を遺すか、金を残すか、の二択であれば
どの金持ちも最後は名前を残したいと思うができない。

それを一足飛びで無一文で成し遂げ、なお若死にしなかった
宮本武蔵はやはりそういう一点で思索的ではないか。

そこをフォーカスすると宮本武蔵の一見なにもしなかった一生が
身になるのかもしれない。

だんだん哲学的になってきた。

歴史上なにも成し遂げなかった期間のある人は多い。
カエサルは40までただの人妻たらしの借金王(破産寸前)であったし
坂本龍馬は18ごろの剣術でそこそこの才能がなければごくつぶし
西郷隆盛も島津斉彬という先達の導きがなければ20歳のダメ人間
徳川家康も50歳まで頭を抑えられて我慢ばかりしてきた苦労人
六韜三略の太公望は60過ぎまでホームレス

私の好きな老子にいたっては200歳とかいわれるくらいだが
図書館の司書である。

何もしていない人間がダメなのでなく、何をするかわかっていない人間が
ダメなのではないだろうか?

やはりなんでもいいからなすべきことを論理的に考えるべきである。
だから目標はなんにせよ必要なのだろう。
ただ宮本武蔵に大きな目標があったかどうかわからない。
禅の人なので、そんな世俗的な目標などなかったのかもしれない。
ただただ、自分のなしてきた殺戮について振り返り
その意味を考える日々であったかもしれない。
そういう意味では宮本武蔵の生き方を追認できる人は
連続殺人なおかつ同等の力の相手との命の奪い合いを
してきた人だけかもしれない。
そんな人はまずいないので、だれも見たことのない風景なのだろう。
だから宮本武蔵の生き方で受けるのは佐々木小次郎までである。
それ以降は反省の人生にしか見えない。
しかしここが一番大事なのかもしれない。

これ以上考えても私は人を真剣勝負で殺したことがないのでわからない。

私の好きな老子は兵法書でなく哲学書になる。これは必携の書だ。
引き際を知ることができる。
なので私の哲学は多くカント、ゲーテ、ダンテ、ミルトンなどの
西洋書からももらっているが
ほとんど忘れている。
一杯読んだが忘れてしまった。
難しい本ならウパデーシャサハースリーとかヴェーダとかまで
インド哲学の古典まで読んだが忘れた。
この辺仏教に通じる。仏教典全部覚えているほど私は頭がよくない。
身に付いたものしかわからない。

だから神髄は中国古典になる。

しかし実務では孫子に勝るものはない。

さらに具体的には、張良、孔明の考え方が少しづつ入る。

諸葛孔明はすごい人と思うが、あまり現実的でない考え方をする。
ちょっとまねできない。

マネするなら張良であり、手本にするなら孫子であり
判断を請うなら老子なのだ。

この辺は自己啓発書と一緒で、あとは全部繰り返しといっていい。
同じことを違うストーリーで読み直しているに過ぎない。

ローマ人の物語も、司馬遼太郎の著作も、神髄は一緒であとは繰り返しである。

歴史は運命であり、運命に対してどう対処するか、である。
運命(死)がわかってしまった時、どう身を処するか、でもある。

ビジネス書はこれを薄めて、いかにして金を稼ぐか=人の関心を利用するか
にフォーカスする。
人の関心を得る=帝王学となる。

金を稼ぐだけなら飽きるまで関心を得ればいい。

名を残したり、国難を処置するとなると、何段も上の選択が必要になる。

帝王学は経営学に通じ、経営学は兵法に通じ、兵法は哲学に通じる。
不思議なことに哲学は古いものほどエッセンスが凝縮している。
どんどん劣化しているのはなぜだろうと思うくらいだ。

老子はよく孔子と比較される。

恥ずかしながら私は四書五経を読んだことがない。
論語は大嫌いなのだ。

なぜか知らないが読む気がしない。

劉邦が好きなので、儒教嫌いがなんとなく移ったのかもしれない。

しかし焚書坑儒になるくらいだから、論語は勘違いさせやすいものがあるのかもしれない。
論語なら、孟子のほうが面白いかもしれず
墨家のような亜流のほうが私に向いているのかもしれない。

しかししょせん私は俗物で、それなりに豪華なものが好きである。

尉繚子、韓非子も読んでみたいのだが
まだ孟子の途中なのでそこまでいかない。
ローマ人の物語もやっと二世皇帝のところである。
史記の二世皇帝はあっというまに死んでしまうのだが
ローマ帝国はなかなか始まらない(笑

孟子はamazonのkindleセールで50円
ローマ人の物語はブックオフで350〜100円x冊数であった
なので高いものはあとまわし(笑



1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年11月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930