全米が泣いた。
嘘である。
全米どころか日本も東京も泣いてはいないが、私は泣いた。
先週、機会があって羽田にあるJAL(日本航空)安全啓発センターという
施設を見学させてもらった。
これは日本航空が航空安全を啓発するために運営している教育・展示・研修
施設である。
ものすご〜く大雑把な説明をすると、1985年に群馬県上野村(御巣鷹山付近)
で発生した、『日航ジャンボ機墜落事故』の機体が展示されている施設だ。
【日本航空安全啓発センター】
https://www.jal.com/ja/flight/safety/center/
85年というと私のマイミクさんはもう全員生まれているかしらん。
私としては衝撃的な見学だったので、少し長くなるけれどウィキペディアを
参考にしながら事故概要も書いてしまおう。
1985年8月12日、羽田空港を18:00に大阪・伊丹に向かって飛び立ったJAL123便、
ボーイング747(通称:ジャンボジェット)は、離陸直後に爆発事故が発生し、
垂直尾翼がすっ飛んだ。完全にコントロール不能となり、関東上空を上下左右
に迷走、操縦士の努力も空しく約30分後に群馬の山中に墜落というか、衝突して
しまったという事故。
JAL123便には乗員乗客524名が乗っていて、うち520名が死亡。生存者(重傷)は
わずかに4名のみという世界最悪・過去最大の惨事となった。
あまりにもものすごい事故だったので、事故後はずっとマスコミを賑わせた。
私としても強く記憶に残っている。
しかし事故から32年も経過してしまって、JALの社員でも当時のことを直接知る
社員は、1割程度になったのだという。
事故の風化を恐れて設立されたのがこのセンターで、最初は羽田の別のビルに
あったのだけれど、2013年に現在の場所にリニューアル・オープンしたそうだ。
本来はJAL社員向けの施設なれど、一般の人も事前申し込みすれば見学が
できるとのことなので、ぜひ皆さまも。超・超・超お勧めである。
展示品は、事故機の機体の一部、ボイスレコーダー、フライトレコーダー、座席、
事故原因となった圧力隔壁などである。後に事故調査委員会によって推定(特定)
された当日の事故模様・流れが4段階にわたってビデオで丁寧に説明される。
その中でとにかく、私が一番泣いたのは、『遺書』だ。
事故発生から墜落・衝突まで約30分間あったのだそうだ。
派手に揺れる機体の中で、死を覚悟した乗員・乗客が家族などへ向けて残した遺書。
パンフレットや手帳に、揺れと恐怖で震える文字が残されている。
妻への感謝の言葉、子供をよろしくって、死にたくないって、助けてって。
泣いた。
http://www.geocities.jp/y190804/isyo.html
彼らがこの文字を書いたときの気持ち、ぜんぜんわからないけど、それでも泣けた。
泣かなくちゃいけないとも、思った。
一瞬にして、520もの命がこの世から消え去るって、すごいことだ。
520を取り巻く家族や親戚の生活は更にその数倍はあろう。
自然災害や事故で亡くなる方々。そしてその周囲。
いつ自分だってその1人になるかわからない。
どう生きればいいのだろう。
でもいつまでも泣いてないで、まずはお昼ご飯を食べよう。そして恋をしよう。
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