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2017年09月28日11:35

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「隋眠先生は抱石庵主を今先生は順三兄を喪う」

「隋眠先生は抱石庵主を今先生は順三兄を喪う」

上記は、唐木順三氏亡くなった時に、恩師・原野栄二先生が西谷啓治先生に贈られた歌である。

唐木順三氏が亡くなったのは、1980年(昭和55年)5月のことであった。わたしが大谷大学短期大学部仏教科の二回生になった初夏のことであった。

この原野先生が�瑯〔伽萓賢瓩箸いΔ里蓮∋各眛昔�先生のことであり�猜�石庵主�瓩箸狼彎梢唇貔萓犬里海箸任△襦�そして�犧�先生は�瓩噺討咾�けているのは西谷啓治先生のことであり�狃膸扱鮫瓩箸いΔ里賄睫攴膸粟萓犬里海箸任△襦�

最近、ミネルヴァ書房から「ミネルヴァ日本評伝選」の一冊として澤村修治著『唐木順三』が刊行された。

わしは残念ながら唐木順三先生に直接お会いすることはなかったが、『三木清』『千利休』『無常』『無用物の系譜』『日本人心の歴史』等の著作を読む機会に恵まれた。

なかでも唐木順三先生が『三木清』書いたのは、戦時中の三木清が戦地に特派員として赴いたときに同じ特派員として戦地に赴いた小説家が三木清の�狄祐崟�の問題点�瓩鰺箸欧弔蹐�、『三木清における人間の問題』なる書物を刊行したことに対する�犢概弔琉嫐��瓩盥�めて書かれた書籍だったという話を原野栄二先生から聞いたことがあった。

三木清は、戦後京都学派の哲学者たちからはあまりいい評価は受けていない。その理由は、やはり三木清がマルクス主義に走り、共産党員を匿い、治安維持法違反で大輔され、戦後獄死したことも大いに関係しているように思える。

しかし唐木順三先生はそんな三木清の生き方を高く評価していた。それは若き日の唐木順三先生も�犁�都学派左派�瓩箸靴謄泪襯�ス思想に傾倒したこともあり、そのようなことからも純粋に三木清の生き方を�犖�平に�疉床舛垢襪海箸�できたのかもしれない。

唐木順三先生と西谷啓治先生はとても仲が良かったという話を原野栄二先生から聞いたことがある。西谷啓治先生の一番上の娘さんは東京の大学で教えてられていたときに、唐木順三先生のご自宅の敷地内の家を建てられてそこに住まわせたという話も原野栄二先生から聞いたことがある。それぐらいに仲がいいと聞いていたのである。

山内得立先生と久松真一先生も西田幾多郎先生の最も早い高弟子で、お互いに意識しあいながら切磋琢磨した仲で、久松真一先生が亡くなられたときに山内得立先生が
「久松くんは、おれは死なないと言っていたのに死んでしまったではないか」
と、�犁彎梢唇貔萓犬鬚靴里峅餃瓩任修ο辰気譴燭海箸�今でも私の記憶に残っている。それほど、仲が良かったのであろう。

そんな西谷啓治先生と唐木順三先生の仲を、原野栄二先生は、山内得立先生と久松允一先生の仲とにかけてそんな歌を送られたのである。

もう40年ほど昔の話になるのだが。



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