■誕生から約半世紀「103系」 大阪環状線からの引退報道に「寂しい限り」の声
(Jタウンネット - 09月02日 20:10)
(生憎大阪環状線の103系の写真は持ち合わせがありません。これは103系ではありますが首都圏、それも常磐線を行く103系です)
一言で言えば[国電]、それが103系。元々は1957/昭和32年に登場し、後の所謂[新性能電車]の創始となった101系電車を、山手線向けに仕様変更し、経済性を追求したのが103系電車。
本来なら山手線用に配備が完了すればそれだけで十分で他線区にまで進出させる必要は必ずしもなかったのだが、当時の国鉄を取り巻く環境から他線区に別仕様別形式を導入出来ず、103系が大量増備されてしまった。
103系は確かに収容力は高くまた加減速性能も高く、駅間距離が短くピーク時に乗客が押し寄せる重通勤線区には向いていたがその分高速巡行性能は十分とは言えなかった。なので中央線特別快速はまだしも、常磐線快速や京阪神地区の東海道・山陽本線(今で言うJR京都線・JR神戸線)の各駅停車にはお世辞にも適した車輛ではなかった。
(川島令三氏など、[103系は旧国鉄最大の駄作]などと酷評していたがいくら何でもそれは言い過ぎというものであろう)
JR東海では既に全車引退、JR東日本においても確かもう生き残っているものはいないのではないかと思われるが、JR西日本の大阪環状線に今まで残っていたのは何故か?
それは大阪環状線の環境が103系に向いていたから。即ち駅間距離が短く加速力が求められる代わりに高速巡行性能は然程求められない路線に於いては103系は適していた。
今から思えば車内は決して静粛とは言えず内装も質素で[乗りたい!]と思わせる様なクルマではないが、103系はあの高度経済成長時代、大都市圏の通勤輸送を一手に引き受けそれを支えていた。
急速に進む大都市圏への人口集中と、その一方で進まぬ公共交通Infrastructure整備、定員の200〜250%もの乗客を無理やりにでも乗せ、しかもまだ一般車両には冷房のない時代、時には[通勤国電]ならぬ[痛勤酷電]などと揶揄されていた。
また当時は春先の風物詩であった労働運動所謂春闘にあっては、総評系組合の中でも[アクティブ]さで名を馳せたのが国鉄の労働組合=国労・動労=で、車体側面にデカデカとスローガンを書きなぐられた[団結]号、[合理化反対]号、[スト権奪還]号、[〇労XX支部]号が車輛基地に居座り、それをしり目に線路上を通勤通学客が歩いて会社や学校に向かう姿がマスメディアに報じられていたものだった。並行路線のあるところではストライキで停まるか停まらないかは一大関心事だったしその為に会社で貸布団を手配し社員を泊まらせるなんて対策をしたところもあった。
良くも悪くも[国電]そして[国鉄]を象徴するかのようなクルマ、それが103系。製造年度によって所謂マイナーチェンジが行われ見た目も色々変わって行ったし後年の改造でまた姿の変わったものもいる。
JR発足から既に30年、103系の後継車たる201系や205系も国鉄時代に登場している。103系一族の一番末っ子グループも既にアラサーどころかアラフォー世代、鉄道車輛としては後期高齢[車]の部類である。
長年慣れ親しんだ盟友の勇退は一抹の寂しさを禁じ得ないが、長年の功績を讃え拍手をもって見送りたいものだ。
有難う、そしてお疲れ様(^^)/>103系
(これは旧作で103系を擬人化したものです。但し首都圏の103系で東京5方面作戦がテーマです)
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