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2017年08月19日00:16

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金属主義とグローバリズム

日本にとっての第零次グローバリズム(大航海時代)は、
江戸幕府の鎖国政策(1639年の南蛮貿易終焉)
により一旦は終わりました。

その200年後、1853年。

捕鯨船の基地、及び石炭の供給を求めて、
蒸気外輪軍艦 サスケハナ号を旗艦とした
ペリー艦隊が来航し、日本は再び
グローバリズムにビルトインされることになります。

イギリス金本位制から始まった当時の
「第一次」グローバリズムは、別名、帝国主義と呼ばれます。

帝国主義とは、相手国の「住民」から主権を奪い、
あるいは主権を与えず、所得を継続的に吸収する
仕組みを構築することを意味します。

相手国の「住民」の主権を奪い取る手段は、
何も軍事力の行使には限りません。

「条約」でも構わないのです。

もちろん、相手国に不利な条約を結ばせるためには、
軍事力が背景に必要です。

時には阿片戦争のように、
軍事力が行使されるケースもありました。

日本の場合、黒船の軍事力をひけらかす
アメリカとの間に、日米和親条約が締結されます。

そして「不平等条約」として有名な
日米修好通商条約が、1858年に締結されました。

日米修好通商条約締結の際に、
日本国内で使われている金貨(小判)、銀貨と、
当時のグローバル通貨であった
メキシコドル(銀貨)との為替レートが決定されました。

日本の小判に含まれている金(きん)の重さは、
メキシコドルの銀四枚分(4ドル分)と同じ価値でした。

というわけで、小判1枚=4メキシコドル
という為替レートが定められました。

問題は、当時の日本の銀貨、
すなわち天保一分銀の為替レートです。

天保一分銀は、銀の含有率が低かったのです。

とはいえ、「一分銀」の刻印が押されている以上、
含有される銀の重さとは無関係に、
日本国内で「小判一枚=4x天保一分銀」の
交換レートで通用していました。

そもそも、おカネとは本来的には
金銀の重さとは無関係である
「債務と債権の記録」であるため、
別にそれで不都合はなかったのです。

というわけで、江戸幕府は、

「小判一枚が4天保一分銀で、
 同時に小判一枚が4メキシコドルである以上、
 天保一分銀=1メキシコドルにするべきだ」

と、主張しました。

それに対し、日米修好通商条約を
交渉したアメリカ人のハリスは、

「天保一分銀に含まれる銀は8.62グラムで、
 1メキシコドル銀貨はの銀は26.73グラム。

 従って1ドル銀貨の約1/3の量目である
 一分銀3枚を持って1ドルに換えるべき。

 実質価値に満たない名目貨幣としての
 銀貨は国際的には通用しない」

と、金属主義丸出しで「1メキシコドル=3天保一分銀」
の為替レートを主張します。

江戸幕府側は、

「天保一部銀は極印により通用する
 定位貨幣であるため、金(小判)価格を
 元に天保一分銀=1メキシコドルである」

と、表見主義に基づき、
1メキシコドル=1天保一分銀の為替レートを
主張したのですが、結局は押し切られ、
「1メキシコドル=3天保一分銀」にされてしまいました。

結果、何が起きたのか。

国内と国外の為替レートに
乖離が生じてしまった結果、例えば、

「4メキシコドルを日本に持ち込み、
 12天保一分銀に両替する。

 日本国内で12天保一分銀を3小判に交換。

 3小判を外国に輸出すると、12メキシコドルになる」

という「儲け話」が成立してしまい、
外国人がメキシコドルを日本に持ち込み、
天保一分銀経由で金(小判)に両替する
ケースが続出しました。

結果、日本から金が大流出。

日本国(江戸幕府)の「定位貨幣」という主張は、
おカネの本来的な定義から言っても正当でした。

とはいえ、当時の「グローバリズム」の世界では、
それは通らなかったのです。

結果的に、歪んだ為替レートを強いられ、
日本国からの金流出を招いてしまいました。

グローバリズムとおカネ。

この種の概念が、我が国の国益を
毀損していっているのは、
別に、現代に始まった話ではないのです。
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