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2017年06月28日12:37

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■「共謀罪」施行前、捜査可視化を全国に通達 法務省
(朝日新聞デジタル - 06月28日 11:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4641944

(問う「共謀罪」)長女「歴史繰り返すのか」 治安維持法で検挙、学者の裁判記録
 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法が7月11日に施行される。国会では治安維持法との類似が議論されたが、同法で検挙された研究者の遺族は、当時の裁判記録をたどって、「共謀罪」拡大適用に警鐘を鳴らす。
 名古屋大学名誉教授だった故・新村猛(しんむらたけし)氏の名古屋市の自宅で2014年秋、ぶ厚いつづりなどが見つかった。治安維持法で摘発されたときの予審調書や弁護資料。発見した長女の原夏子さん(83)は「記録が残っているなんて」と驚いた。猛氏はこの事件で職を失ったため、釈放後は父・出(いづる)氏の辞典編集を手伝い、戦後、「広辞苑」を送り出した。
 同志社大学予科の教授だった猛氏は1937年11月8日朝、京都市の自宅から警察署に連行された。研究者仲間と雑誌「世界文化」で反ファシズム運動を紹介していた。非合法だった共産党とは関係ないので、治安維持法で検挙されるとは思わなかったという。
 1925年成立の治安維持法は28年の改定で結社に参加していなくても「目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者」も罪とした(目的遂行罪)。あいまいな規定で拡大適用されていった。
 猛氏も「目的遂行罪」にあたるとされ、39年夏、京都地裁で、懲役3年執行猶予5年が言い渡された。だが、今回見つかった弁護士の接見メモには罪を否定する言葉が並んでいた。〈意図ハ全部アトヨリ附(つけ)加エラレタルモノニシテ其(その)当時存在シタルモノニアラズ〉
 夏子さんは、今国会の採決強行に憤り、「歴史を繰り返すのか」と案じる。父は「共産党拡大のため」という意図がでっちあげなのに執筆や会議を手がかりに処罰された。「電話やメールなど手がかりがたくさん残る今はもっと怖い」
 猛氏の次男恭(やすし)さん(70)=横浜市=は、「共謀罪」の「犯罪集団に不正権益を得させるなどの目的で犯行を計画した者を処罰する」とする規定と、目的遂行罪が似ていることが気がかりだ。「恣意(しい)的に拡大解釈される危険がある。自由な研究が阻害されないか」
 参院法務委員会の議論で、法務省刑事局長は「組織的犯罪集団の構成員でない者」も処罰対象となることを認めた。「共謀罪」に反対する山下幸夫弁護士は「どんな団体や個人にも適用される可能性があり、政府の方針に反対する者が処罰されうるという点で、治安維持法と果たす機能は似たもの」と話す。「ただ、萎縮しないことも大切だ」(河原理子)
 <新村猛(しんむら・たけし)> 1905〜92年。フランス文学者、名古屋大学名誉教授。父で言語学者の新村出(いづる)を手伝って「広辞苑」(初版55年、岩波書店)を編み、第4版まで改訂にあたった。平和運動に積極的にかかわり、原水爆禁止運動の統一に尽力した。
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上記は、今朝の朝日新聞に掲載された、「(問う「共謀罪」)長女「歴史繰り返すのか」 治安維持法で検挙、学者の裁判記録」という記事の全文である。

法務大臣である金田勝年は、戦中戦前の「治安維持法は適法だった」と驚きの答弁をしていたが、治安維持法が『大日本帝国憲法』に違反する法律であったことは、九州大学名誉教授である内田博文氏が指摘されていることは書いた。

金田勝年がいかに「治安維持法」に、いや、法律そのものに無知なのかということが明らかである。

わたしは、恩師・原野栄二先生から繰り返し「治安維持法」や「憲兵隊」の怖さについての話を伺ってきた。それは、戦後の�犲�由な雰囲気�瓩里覆�で生きてきたわたしたちには想像も及ばないものであったであろう。戦時中に�狎鐐菷紳亅甅爐海寮鐐茲牢岼磴辰討い覘疆�と考えただけでも、周囲の�牋貳命佑量�告�瓩砲茲蠏�兵隊に連行され、拷問されることが待っているのだ。

わたしが時より、�狷邉�大虐殺事件はあった�甅狃招外岼太�度は性奴隷制度であった�甅牴�縄米軍基地反対�疆�と書いただけで、「反日」「日本から出て行け」などというバッシングを受けているが、これからはこのような事を日記に書けば、公安当局に�猝�告�瓩気譟�逮捕される可能性もあるかもしれない。しかしそれも「治安維持法」があった時代とは比べ物にはならないのかもしれない。

わたしたちは戦後72年、戦争に�猝輝錣任△詈刃造兵匆餃瓩棒犬�てきた。それだけに�狎鐐茲離螢▲螢謄��甅犢餡伴腟繊α澗亮腟舛良櫃記瓩砲弔い徳瓦�何も知らない。知らないままに生きてきたからこそ、勇ましいことが言えるのかもしれない。しかし実際の戦争となれば、�爐海寮鐐茲牢岼磴辰討い覘疆�という声は上げられなくなるだろう。そうなったときにはすでに遅いのである。

だからわたしは繰り返し「治安維持法」に縛られた時代のこと、沖縄で実際に会って話を聞いてきたこと等を書き込んでいるのである。
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