mixiユーザー(id:33240433)

2017年05月29日22:37

195 view

パンドラの箱に残った自己優性バイアス

世の中にはそんなに美味しい話があるわけはないのに、あんたは乗ってしまった。
ほれ見たことか。

という自己責任論が渦巻きそうな、あるいは自己責任論否定論が渦巻きそうな記事ですが(すでに別所で渦に首突っ込んで巻き巻きされた後ですが)、
そういう善悪論はちょっと横に置いておいて、論理性が面白いよね、という話。

計算上、ほぼ確実に損をするのに買ってしまう宝くじ、確率的にはその他大勢でしかないのは明白なのにキャバクラに熱を入れるおあにいさんなどはその典型ですね。
これらの「自分だけが得しちゃうかもしれない感じ」を、

自己優性バイアス

と呼びます。私は。(つまり学術用語ではありません)。
となると、相対的に、明白な情報がないにもかかわらず、相手を、あるいは大衆をバカだと決めつける

他者劣性バイアス

というものも想定できます。まあ、ネットでよく見かけるアレですね(私も面倒くさいときはよくそーゆー表現で適当に片付けようとしますが)。ひどいのになると、あったことすらないのに容姿まで決めつけるスーパー予言者みたいなのもいます。

あーあーいるよねー、そういう偏見とかバイアスってよくないよねー

というご賛同はいただけるかと思うのですが、ところがそういう自己優性バイアスがない限り、物事が始まらないのです。
例えば、「僕はサッカー日本代表になる!!」と心に決めたとき、それが叶う確率は、ナンバーワンホステスに告白して成就する可能性よりもはるかに低いと思われます。※

しかし、踏み出さねば始まらないし、意外にも踏み出してしまえば、なんらかの形で多少なりとも有用なものです。もちろん、怪我や人間関係などで致命的な傷を負う可能性もないわけではなく、そこまで加味するとプラスなんだかマイナスなんだかようわかりませんが、しかし一応は奨励されるわけですね。

つまり自己優性バイアス、自分が他人より優れているか、もしくは良い未来を得られるという偏見は、希望と言い換えることができるような気がします。嵐の中「きっと助かる!希望を持て!」というのも、「普通なら死ぬけど俺らは助かるんじゃない、よくわかんないけど?」というのと同義なのかもしれないということです。

自己優性と他者劣性は同じことの裏表ですから、これはつまり、他者の不幸は自己の幸福であることも意味します。ゆえに、平気で障害者を叩きながら、高所得者から税金を取るような論調を生み出すことができます。他者の幸福というものは強烈な自己の不幸ですから。

パンドラの箱に残ったのは希望。「だから世の中には希望がないのです」という解釈が一般的ですが、しかし、箱の中に残ったものが希望ではなく自己優性バイアスだとしたら、「パンドラの箱の中には何も残っていないのに、希望が残ってると思い込んでいるだけ」なのかもしれません。だって世の中にはこんなにたくさんの自己優性バイアスで溢れているではありませんか。

パンドラがもたらした混沌を確率と呼ぶことができるのであれば、この宇宙のことは結構好きな気もします。そんな論理構造の中では、希望という確率を無視した意思に意味があるのかも知れません。



※
ホステスに恋するのがよく言われないのは、人が持つ予測性から逆算して、目標への到達可能性を探るという高度な機能が働いているせいでもあるんですけどね。
「いつか銀座のナンバーワンホステスを落とすために僕は今からITを学ぶ!!」
なんて小学一年生がいたら苦笑いしそうですが、確かに五十代のおっさんがいうよりははるかにマシな感じはしますね。

※
もう一つ、それでも希望だけは手元に残ったのです、という解釈もあります。個人的には結果は一緒な気がします。



■女子高生だましAV出演=モデルで募集、被害200人か―自営業の男逮捕・大阪府警
(時事通信社 - 05月29日 20:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4595426
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する