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2017年04月02日06:43

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人間の心など無くして探していました

遺体安置所を何日も歩き回った私には
いまだに無くならない現象があります
 
震災後 
母と祖母を探すために遺体安置所に行きました
祖母はすぐに見つかりましたが
いくら探しても母は見つかりませんでした
 
飯野川の安置所にいる全てのご遺体を見せて頂き
遺体の検案のために撮られた写真を全部見て
新たに運ばれてくるご遺体に駆け寄り
それはもう 人間の心など無くして探していました
 
頭の中は
「 お母さん! お母さん! お母さん! お母さん! 」
それしかありませんでした
 
性別も間違えられているかもしれない
そう思い 男性女性関係なく探し
 
生きていた時のままとは限らないと思い
しっかりしっかり 目を凝らし
 
涙が流れ出ていることにさえ気づかず探し回り 
 
母を探すうちに 
周りのご遺体が人間であるという認識が無くなっていました
 
当時 私は 人間ではありませんでした
 
その行為を繰り返したためか
母が見つかって お骨になって帰ってきても
戻ってきてくれたという実感がありません
 
普段に何気ない生活の中で
すれ違う見知らぬ人の顔が 
亡くなった人の顔に見えるようになっていました
生きていない人の顔に見えて仕方がない
そのような現象が起きています
 
これは決して霊的な現象ではなく
私の脳や心が見せるものなのです
 
同じ経験をしていない人からすれば 
「 気持ちの問題 」というものです
 
最初のころは かなり驚きましたし
このままずっとこの調子なのかと悩みもしましたが
恐ろしいとは思わないので かまわないことにしています
この様な部分において 
心のタガが外れたままだということを
自分でも充分に理解しています
 
また ふとした瞬間に
「 もう いいかな 」という気持ちが沸き上がります
何もつらいとか 苦しいだとか 悲しいという事ではなく
「 もう充分生きたから いいかな 」 と思うのです
 
決して 死んでしまいたいという気持ちではありませんし
充分に生き切っているわけでもないのに
不思議と そのような感情に出会い 驚くのです
  
生きるのであれば 
「 生 」ある生き方をしなければと思うほど
「 死 」というものが間近にあります
 
生きていることは いつでも死と背中合わせです
小さな赤ちゃんからお年寄りまで その条件は一緒です
 
備えることで守れる「 生 」ならば
なにも手放すことはありません
事前に備えればよいのです
 
そうすれば
被災後の理解しがたい感情に出会うことはないのです 
 
私のように遺体安置所で心を失うこともないのです
 
記事の内容に遠慮はしないでください 
出来るだけ多くの方のお目にとまりますよう
どうか シェアをお願いいたします
 
#語り部佐藤麻紀
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