遺体安置所を何日も歩き回った私には
いまだに無くならない現象があります
震災後
母と祖母を探すために遺体安置所に行きました
祖母はすぐに見つかりましたが
いくら探しても母は見つかりませんでした
飯野川の安置所にいる全てのご遺体を見せて頂き
遺体の検案のために撮られた写真を全部見て
新たに運ばれてくるご遺体に駆け寄り
それはもう 人間の心など無くして探していました
頭の中は
「 お母さん! お母さん! お母さん! お母さん! 」
それしかありませんでした
性別も間違えられているかもしれない
そう思い 男性女性関係なく探し
生きていた時のままとは限らないと思い
しっかりしっかり 目を凝らし
涙が流れ出ていることにさえ気づかず探し回り
母を探すうちに
周りのご遺体が人間であるという認識が無くなっていました
当時 私は 人間ではありませんでした
その行為を繰り返したためか
母が見つかって お骨になって帰ってきても
戻ってきてくれたという実感がありません
普段に何気ない生活の中で
すれ違う見知らぬ人の顔が
亡くなった人の顔に見えるようになっていました
生きていない人の顔に見えて仕方がない
そのような現象が起きています
これは決して霊的な現象ではなく
私の脳や心が見せるものなのです
同じ経験をしていない人からすれば
「 気持ちの問題 」というものです
最初のころは かなり驚きましたし
このままずっとこの調子なのかと悩みもしましたが
恐ろしいとは思わないので かまわないことにしています
この様な部分において
心のタガが外れたままだということを
自分でも充分に理解しています
また ふとした瞬間に
「 もう いいかな 」という気持ちが沸き上がります
何もつらいとか 苦しいだとか 悲しいという事ではなく
「 もう充分生きたから いいかな 」 と思うのです
決して 死んでしまいたいという気持ちではありませんし
充分に生き切っているわけでもないのに
不思議と そのような感情に出会い 驚くのです
生きるのであれば
「 生 」ある生き方をしなければと思うほど
「 死 」というものが間近にあります
生きていることは いつでも死と背中合わせです
小さな赤ちゃんからお年寄りまで その条件は一緒です
備えることで守れる「 生 」ならば
なにも手放すことはありません
事前に備えればよいのです
そうすれば
被災後の理解しがたい感情に出会うことはないのです
私のように遺体安置所で心を失うこともないのです
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#語り部佐藤麻紀
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