今週の日曜日の夜に母親から電話があった。久しぶりに、である。
母親は、足の膝を悪くしているのだが、日曜日は天気も良く気温も上がったので、わたしのマンションに行こうと、途中まで来てくれたという。しかしどうも途中で歩きづらくなったので、引き返したという。
「おまえのところへはタクシーを乗ってでもいってやるから」
と、母親はいつも言うが、母親のマンションからわたしのマンションまではタクシーで結構に金額がかかる。しかし母親はタクシーを使ってでもと言ってくれる。わたしは母親のその言葉だけで十分だと思っている。
「わたしはきっと死ぬまでおまえの名前を呼び続けるよ、きっと」
母親にとって障害者と呼ばれるわたしに対する愛情は、下の二人の妹たちに対するものと、また違った意味をもっているのだろう。
母親はわたしが障害もった身体に生まれたのは自分のせいだとずっと思ってきたし、今もそう思っているのかもしれない。しかしわたしが障害を持つ身体になったのは、出産時の事故によるものだということを、わたしは自分が生まれた病院の自分が生まれた時のカルテからはじめて知った。
そうしてそのことを母親に伝えたのだが、母親は未だにはわたしが障害もった身体に生まれたのは自分のせいだとずっと思い続けている。
母親は、わたしと別れて生活するようになって、�爐瓦瓩鵑有瓩箸いΩ斥佞鬚茲�言うようになった。しかし何に詫びているのだろうか。自分がわたしの部屋に頻繁に言ってやることができないということであろうか、わたしに一人暮らしのような暮らしをさせていることだろうか、それともわたしを障害のある身体に産んだことだろうか。
しかし一人暮らしをして初めてわたしはいままで行かに家族にもまられてきたのかということを痛感している。日々感謝している。母親からの電話に、母親の声に、なぜかホッとする思いがしたのである。
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