ちょっぴり自分が悪にでもなれば好転する事柄の多いこと。
でも画一的な道徳教育で縛られた人はなかなか自分から悪に踏み出せないものですよね。
ネットの知恵というのはすごいなあと思います。
この事例ならほとんど悪者にならないで済むのではないでしょうか。
まとめサイトさん、ありがとう。
http://kosodatech.blog133.fc2.com/blog-entry-24779.html
◆
実家の毒母を2ちゃんのおかげで遠ざけられた
2017年02月07日 02:05
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1465687432/
復讐とまではいかないちょっとしたいたずらや仕返しを語れ 4
838 :名無しさん@おーぷん : 2017/02/05(日)12:26:12 ID:Q0x
結婚して子どももいる主婦です。
実家の毒母を2ちゃんのおかげで遠ざけられた。
毒の私に対するスタンスは依存&罵倒。
子分がいないとダメなのに罵倒して、距離を置かれると猫なで声→また罵倒。
私の結婚が幸せなのを憎んでて、
涙ながらに義両親に電話して親不孝な娘が。。(涙)とか娘のネガキャンもしてた。
私がぜんぜん支配されてくれないのが毒にはもどかしく
「そんなん言うんだったら今まで孫にやったもの全部返して!」
「お祝い金返して」
とかすごかった時期があった。
罵声に罵声で返すような喧嘩を繰り広げたこともあったけど、
2ちゃんのどっかのスレに距離を置きたい人には敬語を徹底、て書いてあった。
あと、自己愛性人格障害は自分以外で仲良くされたり情報を遮断されるのが1番怖いとも読んだ。
早速実践。
本人には敬語+よそよそしい態度を貫いて、「その日は母と鎌倉にまいりますので。。」と言っといた。
私そんなん聞いてないしという毒に
「え、私の母ですけど。。」
言外に母といえば主人の母が私のおかあさん☆ていうのを滲ませた。
私がもう子分じゃなくなり、気持ちが義両親にいっていることに毒の焦りが加速。
私のお母さんがお母さんがを連発していたら義母は
「実家を一歩出たら嫁ぎ先に染まるという考えは古いって〜」と言い、しかし前より仲良くなった。
また毒の出産祝いを返せ、一歳の祝いも返せ、前にあげたもの返せ、
あんたを育てた金返せがはじまった。
恩着せは私が独身の頃からで、これを機会に絶縁ね、ていざ返すと焦るのが定番。
「◯◯家で頂戴したものですので主人から電話させます。
母には冠婚葬祭やお祝いのおつきあいも途絶えることを報告いたします。」
毒の娘いじめは夫や義父母の前では封印していたから、
そんなんしてもらわなくていいしっ!て電話ガチャ切り。
義実家には娘を想う聖母マリアみたいな自己演出をして、
「いいお母様ねえ。びっくりしたわ」なんて義母に言われていたのに正体がバレちゃったら大変だから。
それ以降は電話を着信拒否、宅配と郵便は受取拒否。
自宅購入と子どもの幼稚園入園に合わせて転居したのを機に電話と住所も変え、
義父母にも連絡先を言わないよう口止めした。
そしたら「お前らのせいでー!」て義父母に電話してきたらしい。
義父母も聖母マリアwの裏の顔に気づき、堂々と絶縁できた。
毒と同じレイヤーで口汚く罵ってたら私も同じところに落ちていただろうなと思う。
2ちゃんよありがとう。
839 :名無しさん@おーぷん : 2017/02/05(日)14:16:05 ID:ned
>>838
リアルでは毒親への対策の具体策なんて大勢に相談出来ないもんな
絶縁おめでとう!
◆
(超耳)
すばらしい体験だったと思います。こういう実例が知れ渡るといいですね。知れば救われる人というのは世の中に多いのではないでしょうか。
せっかくですから、もう少し。
このケースでは実母があまりにも同情の余地がない邪悪な人だったからうまく当てはまったのですよね。邪悪を遠ざけるのに多少冷たくしたり策を弄するのはしょうがないという言い訳ができるので。
でも世の中のほとんどのケースはそうではない。
ほとんどの敵は邪悪なのではありません。
ただただ愚かなだけの普通の人が敵なのです。邪悪な人ではなく、弱い人が迷惑をかけてくるケースが圧倒的に多いのです。
たとえて言うなら上記のケースで実母がなんらかのハンディキャップを持つ人だったら?
「お母さんも体が辛いから寂しくていろいろ言ってくるんでしょうに。それを実の子が冷たすぎる態度なんじゃないの」なんて言ってくる人がいてもおかしくなさそうです。
たくさんいるだろうと私は確信があります。画一的な道徳教育に縛られたまま、一度も自らを解き放つことなく大人として生きている人たち、普通の人たち。いくらでもいて、有害ですね。
だから、私たちは「ちょい悪(あく)」を選ぶ強い心を持たなければならないと思います。
理解されない人生を選ぶこと。「ちょい悪(あく)」は他人によく思われません。でもそっちを選ぶべきなのです。
「みんなにわかってもらいたい」という願いは誰にしもあるのです。でも叶うことはありません。「みんな」はあんまり学ばない。学ばない上に他人を軽々に批判するのです。「みんな」にわからせる手段など誰も持ちません。総理大臣だって米大統領だって一人も持たなかったじゃないですか。だから理解されないことだけは受け入れるほかありません。
弱くて他人に大迷惑をかける人、遠ざけましょう。どこか遠くで幸せに暮らしてくださることには異論があろうはずがありません。迷惑だと思わない人同士で息が合うことがあるのかもしれませんよ。自分が他人に要求することを他人から要求される、こんな関係ならウィンウィンなんではないでしょうか。(上記の実母さんなら罵倒と擦り寄りを繰り返す人たち同士で仲良く生きればいいんですよ。そんなことが可能なら。不可能でしょうけど、それなら当事者が変わるほかの解決法なんてないというだけですよね。学んで変わればいいですよねー)
ひるがえって、弱くて迷惑をかけることがあるかもしれないけれど最小限にとどめようとしている人、遠ざけることなく接したいものですよね。努力している人に冷たくするのは「ちょい悪(あく)」ではなくて明確に「悪」ですよ。
普通でも学ぼうとすればいいと思います。弱くても迷惑を小さくしようしたり感謝を忘れなければいいと思います。すべての人がそうだもんね。
愚かなだけの普通の人、弱くて大迷惑をかけてくる人、それらを「みんな」にわかってもらえる手段でどうにかできるなんていうことはないのだと思います。遠ざけて、「みんな」からは誤解されるのが次善です。
悲しく虚しいことですけれど、どうにもなりません。
超耳個人のことですけれど。
学ばない人の前では、これまで同様にこれからもずっと「ちょい悪(あく)」の私でいると思います。たぶん死ぬまでずっとそうであり続けるほかないと予測しています。嫌だなあとは思うのですが、次善です。他人を変えることはできないし、してはいけないんだもんね。
普通で愚かな人たちや、弱くて迷惑な人たちが自発的に変わろうとしてくれるのなら、こんなにうれしいことはありません。
そんな日がいつしか来るといいのだけれどなあー。
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