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2016年10月14日22:07

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若いってすばらしい〜昭和歌謡曲91、安井かずみ〜胸いっぱいの悲しみ



〜昭和40年代を駆け抜けたセレブな女流作詞家〜

作詞家シリーズ第二弾!
、、と言っても、2年前に「千家和也」をやっただけだが。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1923558157&owner_id=4597260
ここで、「(千家の歌詞は)南沙織には歌わせるな!と書いたが、
今回は逆で安井かずみ作詞の歌を南沙織が
シングルで出して欲しかった。

☆基本データ、今回、年は元号で表記。昭和は{S}と略す。
○本名:安井一美。愛称は「ZUZU(ずず)」
○生誕:S14年1月12日〜死没 平成6年3月17日(享年55)
○出身地:神奈川横浜市

彼女は、、
今で言えばセレブ。横浜の裕福な家庭で育ち、
お嬢様学校のフェリス女学院の中学、高校を経て
文化学院油絵科卒。モデル並みの容姿を持ち、
優雅でゴージャスで格好良い。

女優の加賀まり子や、デザイナーのこしのじゅんこらと
六本木あたりで優雅に遊んでいたらしい。
S40年代、当時としては珍しく海外に多く旅行に出て、
フランス語も堪能。
そういう経験、素養が詞ににじみ出ている。

昭和の作詞家としては
「歌謡曲完全攻略ガイド」と言う本によると、
フォト
S43〜S58年の期間だが、「作詞家の売り上げベスト30」
で5位に入っている。
フォト

(1位阿久悠、2位松本隆、3位山上路夫、4位なかにし礼)。
最高売り上げ曲は、「わたしの城下町」の134万枚。
しかし、、こう言ってはナンだが、1位の阿久悠の「UFO」
(155万枚)とか「サウスポー」(145万枚)とか詞として評価できるかな?考えてる顔

彼女は、伊東ゆかりへの「おしゃべりな真珠」で
S40年度レコード大賞作詞賞を受賞しているが、
この曲は記憶にない。

後追いで彼女の作詞と知ったが、
るんるんリアルタイムで「若いってすばらしい」は好きだった。
歌唱:槇みちる作曲:宮川泰S41年3月


おおらかな青春賛歌。この時代には、こう言う曲が多い。
若者が多かったんだろ=団塊世代。
これを聞いた時まだ小学生だったが、青春に憧れた。

しかし槇みちるという歌手には覚えがないあせあせ
スクールメイツが合唱していた印象がある。

小学生か中学の時、
なんかの歌謡バラエティ番組のフィナーレで
、「最後に【若いってすばらしい】を歌いましょうよ。」
と当時の若い女性歌手(中尾ミエあたり)が言い出し、
ハナ肇が「おお!良いね!歌おう」と同調したところで、
若い歌手が「いや、ハナさんは「素晴らしかった」でしょう?」
と突っ込んだのも記憶にある。
その後、スタンダード化している名曲。

S40年代前半の彼女の作品を見ると、想い出に残る詞がある。
ムード伊東ゆかり「恋のしずく」作曲:平尾昌晃S43年1月

♪肩をぬらす 恋のしずく. 濡れたままでいいの. このまま歩きたい♪

グループサウンズでは私が好きだったザ・ワイルドワンズに
「青空のある限り」等を提供しているが、
チャッピー(渡辺茂樹)加入第一弾の「バラの恋人」が好きだな。
そのサビ、チャッピーのソロ
♪髪がゆれて、バラのくちびる、すねてるよなとこも好きだよ〜♪

ペン「ドナドナ」「オーシャンゼリゼ」の訳詞、
アニメソング宇宙少年ソラン。
布施明の「甘い十字架」、
辺見 マリの「経験」(S45年)♪ああ、やめて♪も流行ったなぁ。

手(パー)私生活ではこの間、
S42年にローマにて青年実業家と結婚するも、翌年ニューヨークにて離婚。
44年 - パリに暮らし、46年に帰国とある。←凄いね!目
以前、安井かずみ自身の手記を読んだが、日本に帰国した時は、
さすがに落ち込んで、お金がなくなり、猛然と仕事をしたと
書いていたのを覚えている。

その時、作ったのが最大のヒット曲で、S46年レコード大賞最優秀新人賞曲、
「わたしの城下町」(小柳ルミ子歌唱)だが、私はそんなに好きでもない。
後に安井の詞と知って驚いた。
彼女はだいたいバタ臭い詞が特長だが、こういう日本的な詞も書けるんだな。

ただ演歌、それも「ぶって、殴って捨てないで」「私バカです。女です」
「いっそ殺して。別れるなら」といった詞は書けない。
こういうのは男性作詞家が書いている(千家和也等)

ライバルの天地真理にデビュー2曲目の「ちいさな恋」を提供。
♪ちょっとこわいの 恋かしら♪(オリコン1位獲得)
あと、女性アイドルでは、浅田美代子に、デビューシングル「赤い風船」48年4月、
アグネス・チャンに「草原の輝き」48年7月
♪居眠りしたのね いつか小川のせせらぎ きいて♪
こういう少女っぽい詞も素敵だな。

だが、私にとっては、47年〜49年、ジュリーに歌詞を
提供してきた作詞家という印象が強い。この時、
私は作詞家・安井かずみの名前をハッキリ記憶したと思う。

S48年4月の「危険なふたり」は日本歌謡大賞グランプリ(レコ大賞大衆賞)を獲得。
この詞は年下の男が年上の女性に叶わない恋をするモノだが、
♪年上の人、美しすぎる。ああ、ああそれでも愛しているのに♪
♪僕には出来ない。まだ愛してる。あなたは大人の振りをして別れるつもり?♪
これは、一説には安井かずみに言い寄る年下の男性のことを表したとも言われる。
前述した最初の結婚相手も、再婚した作曲家の加藤和彦(元フォーククルセダース)も
安井の方が年上。恰好良い姉貴。姉貴肌なんだろうな。

しかし、また逆らうが、ジュリーへの提供詞は、
その前後の「あなたの愛」(S48年1月)
♪愛を引き留める鎖があるなら、二人つながれどこまでも行きたい♪や
同年秋の「胸いっぱいの愛」の方がずっと好きだな。
るんるん「あなたへの愛 」沢田研二 田中裕子とデュエット


「魅せられた夜」同年11月、作詞:Jean Renardで安井は訳詞だったが、
♪濡れた夜に抱かれて あなたの体は 月の光の中で 熱く燃える♪
この歌い出しには痺れたね!

西城秀樹 には「ちぎれた愛」で48年9月馬飼野康二(作曲)
オリコン第1位を初獲得
同じく「激しい恋」49年5月


♪やめろと言われても 今では遅すぎた
激しい恋の風に 巻きこまれたら最後さ ♪

S49年森山良子の「ある日の午後」、そうヒットはしなかったが、
想い出に残る名作詞、これも安井作品だったんだな。
♪口づけくらい出来たはずの5月の風♪
♪都忘れの花がいとしく、胸うつ午後でした♪

「あの頃は ハッ!」
和田アキ子の「古い日記」(49年2月)も彼女の詞だったなのか!

位置情報小室哲哉、1年前のツイッター「ボブ・ディランにノーベル賞を」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=4240153



走る人彼女は、昭和40年代を駆け抜けたなぁ。
だから西暦で1960年代とか70年代という括りよりも
昭和40年代というのがシックリ来る。
特に後半、それも48,9年に名作詞が多い。

なぜかS50年になるとガクッと作品が減る。
一つには、安井とコンセプトが近いユーミンが
台頭してきたのもあるかな?

ジュリーがS50年に入り、
作詞家が安井から山上路夫阿久悠に変わったように
シンシアはデビュー以来、有馬三重子が詞を提供していたが、
50年4月「想い出通り」で一旦、解消。
そこで名盤アルバム「シンシア・ストリート」を50年6月に
出すのだが、A面の作詞が全て安井かずみ。

そして、その2曲目の「Getdownbaby」を
シングルカットする予定であった。
この詞は、「恋人と別れて、見知らぬ男にナンパされ
車に乗って海まで行き、キスくらいはしたわよ」
という清純派から脱皮した大人の女の歌であった。

しかし、土壇場で中里綴&田山雅充の「人恋しくて」に変更になった。
これは「Getdownbaby」とは180度違い、「一人で小石を蹴った」とか、
ぐずぐずと呟いている曲だ。
結果的にこの曲はヒットし、レコード大賞歌唱賞を受賞したが、
私はこの歌が大嫌いだ!!シンシアのベスト盤を聞く時、
この曲はスキップさせた。
この50年夏は、やはり安井かずみの「Getdownbaby」だったな!
曲の終わりに英語のフレーズがあり、安井の格好良さ、
大人っぽさ、ドライさが、シンシアに合っていた。

乙女座昭和50年代で、久々にヒットしたのは、竹内まりやの
「不思議なピーチパイ」(加藤和彦作曲)昭和54年


♪かくしきれない気分はピーチパイ
春のざわめきが手のひらを舞う♪
これは「若いってすばらしい」の世界だな。
竹内と安井のお嬢様感覚がマッチしている。

手(パー)シンシアへアルバム曲「哀しい妖精」(S51年9月)で
提供した「青い服の想い出」が大好き。
今の季節にピッタリ。

♪かすかな残り香、金木犀なら、
あの時、季節は10月で♪
あの頃、私は18で♪

そうか!私が18歳の時が昭和49年だったのか!?


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