番組自体が目指した方向性はいいものです。
でも出演者にちっとも意図が伝わってないじゃんか! まるでモノを考えないまま思い込みと反射で意見めいたものを垂れ流す番組に堕してしまっていたのですよ。
つぶやいた内容、こちらにも書き写しておきます。
日記で触れたので見る責任が私にはあると考えるので、最後まで見ましたよ。苦痛のほうが十倍も多い30分でした。
以下、先ほどつぶやいた超耳のmxiつぶやきの転載です。
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例の障害者の感動番組を抉る番組、録画しましたので見ています。
思ったよりまともです!記事だけでは判断できないものですよね。「感動モノ」自体へのまっとうな目が世間に育つといいですよね。もちろん私にも。
むうー。なんだかダメな方向に走りはじめたな。「乗り越えるべき障害は体や病気ではなく社会にある」。それ自体はもちろん間違っていないが、「社会」とやらには健常者しかいない前提で考え始めている愚か者どもばかりに見える。弱者は?弱者が弱者を傷つけるケースは防がないの?「特例だから無条件で許す」なの?
鈴木おさむ(放送作家)「車いすとブサイクの親友を番組に出したら意味をすごく聞かれた」。それは聞かれるよね。日常学園ドラマを南極だの高山だの他の星系だのに設定するのは可だけれど「なんで?」と聞かれること不可避。目立つ舞台装置は意味があるというのが永遠不滅の創作の文法だよね。自然なことだよね。
ナレーションと脚本でだいぶ修正されました。なるほど、素材として扱うときに「べからず」であるはずの「かわいそう」「けなげ」「感動」という三段撃ちをNGだと、そこだけに絞りたい番組側。よくわかっていない出演者たち。そういう感じだなあ。障害者も対等だという前提を持つ健常者が出演者内に不足してない?
関係ないことを思い出しました。昔から大いに憎んでいる表現があるのです。「○○は恥ずかしいことじゃないんだよ」。これも言葉自体は間違っていないことが多いのです。でもそれにかこつけて隠しておきたいことをバラせと強要するのが憎い。誰でも長所を見せて短所を目立たないようにしたいのです。「誰でも」さ。
(番組に戻って)ツイッターも紹介されていないけれどこちらは輪をかけてとんちんかん。「感動ポルノであふれているのにバリアフリーは進んでいない」。逆でしょう。感動ポルノの功罪のうち功の面をどうしてウソで否定するのさ。バカは自分の意見を通すために簡単にウソをつく。「このバカ」と言って紹介するのもやめなよ。
カンニング竹山さん、鈴木おさむさんの企画……なんだこりゃ。『「社会」とやらには健常者しかいない前提で考え始めている愚か者ども』丸出しでは? どうして健常者は無条件で悪者なのん? もっと褒めなさい健常者も。同等に扱いなさい健常者を。障害者と差別せずにさ。なぜ悪者にする? 感動ポルノと同じ根だ君たち。
番組終わりました。不愉快でした。なんだ「健常者は悪者だから反省しなさい」という話がしたかったのか。下らぬ。<バリバラ
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(超耳)
健常者とハンデを負った人たちとが対等に扱われるなんてとんでもなく遠い話なんだなあ、と強く感じました。
強者は強者であること自体が悪いから百歩譲歩したあともう千歩譲歩しろ! という出演者どもに「このバカ」と感じました。
障害者も健常者と同じ社会の構成員です。可能な範囲で責任を果たし、人材として益を生み出し、他の弱者を理解する努力を一歩でも二歩でも進め、差別したら「弱者を差別するな」と言われ、バカ発言をしたら「このバカ」と言われ、よいことをしたら感謝され、長所に応じて好かれ、短所に応じて嫌われたり避けられたりする……そんな社会は、まだまだ遠いようなんですよ。
弱者は特別。感動ポルノを作られない権利も弱者にだけはある。そういうふうにしか見られない出演者ども。誰にでもある権利が障害者にもある、という程度にとどめるべきなのにな。
番組自体はそちらを目指そうと企画され、取材もVTRもその方向で作られていたことは間違いありません。でも出演者たちがまるでモノを考えていないんだもの。「障害者を理解してもらうには……そだ、感動ポルノだ!」という発想と大同小異だもんなー。
ほんとがっかりです。
バカは地球を滅ぼす。そっちに向かって強烈に牽引していく。
悲しくなりました。
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