中学校で教わることを悩む時間、ムダですよね。
おカネとはなにか。「価値の尺度」とか「交換の媒体」とか「貯蓄の手段」とか、そういうこと、教科書に書いてありましたよね。
もっと世の中の真理に近い言葉を知っています。
「世の中、エネルギーこそすべて」
です。今作りました。
こちらの言葉のほうが適切ですが、たぶんこれは話題にならない。なぜなら誰のルサンチマンも刺激しないからです。トゲのない言葉は心に引っかることもなく流れ去ってしまう。
しかもエネルギーというのは他の物体に変化を与える(=仕事をする)ポテンシャルのことですから、エネルギーがすべてを決定するというのは自明であり、言葉の定義からして「そうに決まっているよね、なんでわざわざ言うの?」という話です。
「世の中、金こそすべて」
も似ていますよね。正確さを欠くために話のタネになりやすいところが違いますけれども。
反論する意味とか必要とか、あるんでしょうか?
カネというのは価値の尺度そのほかを必要として人為的に作られたわけですけど。話すことがあるとすれば、社会によって保証が失われたらまずいよね、そういうこと知ってる? とかでしょうか。ヒト・モノ・カネの三分割のほうがカネ単体よりいいよ、とか教えるチャンスと見なすべきなんでしょうか。
でもねえ。小卒レベルのまま大人になってしまった人にはもうなにを言ってもムダかなあ、たぶん。
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■「世の中、金こそすべて」←この主張に反論できる?
(Jタウンネット - 08月21日 17:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=241&from=diary&id=4153589
資本主義が支配する現世で「お金」という存在は決して無視することができない。お金に力があることは小さな子供にもわかっているようで、将来はお金持ちになりたいという夢を持つことも少なくないだろう。主もそんな金の力を疑わない拝金主義者だ。コミュニティアプリ「アンサー」に「やっぱ世の中金だよね?」と切り込む。
しかし、案外この拝金主義に賛同するアンサー民は少なく、彼を説得するがため様々な切り口から金がすべてではないことを紹介していく。その中でも特に彼に響いたのは今の医学では治せないという難病に苦しむ女性の「金よりも、健康が欲しいな」という一言。そもそもアンサーにスポットを立てて意見を求めること自体、どこかで否定してほしかったのではないかと思うわけなんだな。
「やっぱ世の中金だよね?」→「え? う、うん、う〜ん......」
金があれば幸せになれる、それはこの世の道理なのか、考えたことはあるだろうか。主は「やっぱ世の中金だよね?」とそこに大胆に踏み込んでいく。「金は少なからず人を動かしている」「少なからず俺らが労働している根本には常に金が軸にある」「金で創造した力、物理的だけでなく経済的、大胆な話政治的にも金の力をはっきしたらそこら辺の餓鬼なんて安いもんだろ?」と彼は金の力を万能だと考えているようだ。
資本主義のこの世の中、これは一定程度の人々に共有された価値観だと思うのだが、案外アンサー民には受け入れられなかったようだ。必要であることは否定しないものの、全てではないというのが彼らの考えらしい。彼女、結婚、健康など金では手に入れられないものを例に挙げながら主の説得に入る。しかし彼はそれらを「億万長者になってない私達には分からない戯言ですよね」と一蹴する。
「俺はこの言葉で少なからず金の儚さを知った」、そんなお金よりも尊いものとは?
アンサー民も決してお金の重要性を完全否定しているわけではない。「重要な要素のひとつでしかなくて、『すべて』ではないの」ということであり、「幸せイコール金ではないってこと」なのだ。「金よりも、健康が欲しいな」という人は「結局健康を求めるには金がつきまとう」と言われても引かない。実はこの方、今の医学では治せないいわゆる不治の病にかかっているという。
これはいかに金の力をもってしても解決できない。主もこれには反論できず、むしろ「俺はこの言葉で少なからず金の儚さを知った」といい、しかも病を抱えたその人に「具合が良くなりますように」「まぢで幸せを祈ってますから絶対幸せなって下さいね」と励ましの言葉まで送っている。実は主は「世の中金」というのを批判してほしかったのではないかと筆者は思う。金なんてなくたって幸せになれる!って筆者は必死にこの機会に乗じて言い放ってみたり。(ライター:ファエマ)
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(超耳)
>「金よりも、健康が欲しいな」という人は「結局健康を求めるには金がつきまとう」と言われても引かない。実はこの方、今の医学では治せないいわゆる不治の病にかかっているという。
議論になっていない話って不毛ですよね。
人が幸せを感じる対象はカネだけではない、という話にすり替わっています。そんなことも当たり前のことで、いちいち言う必要のないこと。
やっぱり子どものうちに学習しておかないといけないんじゃないかなあ。
こういう議論ごっこにうつつを抜かす大人にならないようにさ。
不勉強でもいいんです。学ばなくてもいいんです。他人に議論をふっかけたり社会に問いかけたりしなければ。許されていることです。
でも意見を表明してしまったら、言われるわけですよね。不勉強者め、と。
たぶん不勉強者どもは勘違いをしているのですよ。
価値の尺度であり交換の媒体であり貯蓄の手段でもあるカネを多く持っている人は自分より価値が高い(と見なされる)と。
反論とかいうアホな行為の源泉はたぶんここ。
小さな小さなプライドが傷ついた、ブドウは酸っぱいはずだからいらないよ、という下らない動機を満たすためにしゃべり続けているんですよ。当たっている自信ありますよ。大いに。
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