人間とはなかなか難しいもので、「個人・企業(ミクロ)の利益」と「国民経済(マクロ)の利益」が一致しないケースについて、なかなか理解することができません。
個人や企業にとって、節約は常に「善」です。
とはいえ、誰もかれもが節約に走ると、その分、消費や投資が減るため、誰か別の人の所得が小さくなります。
所得が小さくなった人は消費や投資を増やせないため、さらに別の誰かの所得が小さくなります。
適切なインフレ率を伴った景気拡大期には、上記はさほど問題にはなりません。
家計が消費を減らしたとしても、企業の投資拡大で十分にカバーできるのです。
問題は、まさに現在の日本がそうなのですが、デフレ期です。
デフレ期は雇用が不安定化し、企業の業績も落ち込むため、個人・企業にとって節約が圧倒的に合理的になります。
ミクロにとっての合理的行動が、マクロでは非合理的な結果をもたらす。
いわゆる「合成の誤謬」です。
特に、今の日本では経営者が、この「合成の誤謬」に気が付かず、深刻な問題を引き起こしているように思えます。
かつて、松下幸之助は大恐慌期(デフレ期)に、浜口雄幸内閣が緊縮財政を実施し、企業もそれに倣い緊縮経営を実施している状況を憂い、「これでは自分で自分の首を絞めるようなものではないか。
お金のある人、あるところが使わなくて、景気が良くなるはずがない」と、自ら自家用車を購入し、
自宅新築を思いとどまっていた友人に、「この不景気の時代に、君のような資産家こそ建築をすべきだ。
君のような人が手控えていては、第一、大工や左官の職をもつ人は何によって生活するのだ」と、新築を進めたとのことです。
松下幸之助のように、経営者であっても「合成の誤謬」の危険を、理解する人は少なくないのですが、決して国民の多数派ではないでしょう。
合成の誤謬という厄介な問題は、「国民の認識」によってしか解決できません。
そう考えたとき、我が国は「教育」として、国民経済の仕組みや合成の誤謬について学ぶ機会を持つべきとの思いが、ますます強まっていくのです。
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