この写真は
私に津波の恐ろしさを教え続けてくれた 祖母が
( ひ孫がいたので ぴいちゃんと呼んでいました )
当時入院していた雄勝病院三階 病室の枕元に残された
震災当日 地震が来る前のメモ書きです
「 語り継ぐこと 」について
私の祖母は津波の経験者でした
ですから それはもう何度も何度も
口を酸っぱくして津波の恐ろしさを話していました
私が物心をついた頃から
茶飲み話のついでに 何百回と聞かされ
「 はいはい もう分がってから 」と言うぐらいに
飽きるほど聞かされていました
「 麻紀 いいが 津波つぅのはな うんとおっかねんだど
沖の方さな 海の水 ざーっと引いで行って
海の水みんなねぐなんだ
海のそご見えんだがらな
海のそご見えで
さがなっこ ぴつぴつ跳ねんだがらな
おめぇ そいづ
おもしぇがって 取りさなんて行ったら
わがんねんだがらな
そいなごどすたら いのづ取らいんだがらな
ぜってぇ 行ってわがんねど 」
※ 麻紀 いいか 津波というものは とても恐ろしいんだよ
沖のほうに 海の水がザーッと引いて行って
海の水がみんななくなるんだよ
海の底が見えるんだよ
海の底が見えて (取り残された)魚がぴちぴち跳ねるんだからね
お前 それを
面白がって取りに行ってはダメだぞ
そんなことをしたら 命を取られるんだからな
絶対に行ってはダメだぞ
そしてその後に
「 いいが 山さ逃げんだど 」と
きつく言い聞かされていました
その話が 自分でも気づかないうちに
私の一部になっていたのでしょうか
あの日 近くの鉄筋建ての建物ではなく
雪でぬかるんでいた山に必死で登ることができました
震災の日 まぐれで残された私達の命
津波の恐ろしさを伝えてくれたのに
亡くなってしまったぴいちゃん
津波のあった3月11日
普段はかけ離れている生と死が
真っ平らに並んでいたのです
ぴいちゃん おら代わりにしゃべっからね
見ででけろよ
被災した人間の気持ちの一端ですが
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