今から60年近く前の1957年12月19日、『毎日新聞』に「ことしの顔」として、升田幸三(名人、王将、九段を併せ持つ史上初の三冠に輝いた)が紹介された記事より。
>勝つことが棋士のすべてである。ところがこの「勝負」がまことに不思議なものだ。理論や公式、また運、不運でも割り切ることのできぬ何かがある。アメリカのクロード・シャノン博士が、チェス(西洋将棋)をさす機械を作ったのもその何かを求めてのことらしい。
>この機械は、電子計算機を利用した人工頭脳で、一つの手の可能性を算出し、そして最善の手をうたせる仕組み。つまり技術だけを純粋にもっている機械と人間を対決させて、人間の心と勝負の秘密をあばき出そうという試みともいえる。最近のチェスの雑誌によるとかなり強い人と対戦してこの機械が勝った
>日本の将棋でいえば素人五段程度の棋力をもっているらしい。しかし、将来さらに優秀な機械ができたとしても、しょせん人間にかなうまいというのが、電子工学界の意見である。とすれば科学さえも手のとどかぬところで「勝負」は生きているようだ。
>海の向うのことまで持出す必要はない。昨年から今年にかけての升田八段のたたかいをみれば勝負がもっている何かがわかりそうな気がする。
升田九段はまた「負けても死ぬわけではない」ともいいました。この言葉は「負ければ死ぬんだ」ということと裏合わせにあります。負ければ死ぬようなきびしい味がなければならない。しかし負けて死ぬようでは困る。プロの将棋はこの二つの矛盾した命題を背負っているのです。(1971年、内藤國雄)
ログインしてコメントを確認・投稿する