■国鉄型特急485系、6月に引退 東北3県でラストラン
(朝日新聞デジタル - 04月28日 07:01)
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或る意味旧国鉄を代表する車種の一つだったからね。よく利用したよ。もう20年ほど前だが当時の勤務先では月に1度程度出張があり大阪〜富山間でこの車種を使った「雷鳥」をしばしば使ったよ。
元々は交流区間も直流区間も直通できる両用形として、直流用の181系に変圧器と整流器を乗せた形でまず西日本の60Hz用に481系が、次いで東日本の50Hz用に483系が登場、そして50Hzも60Hzも両方に対応できる車種として、満を持して登場したのが485系だ。
もっとも、485を名乗るのは動力車であるモハ車のみ。クハ・サロ・サシ・サハなどは481のままである。また、481系と485系、483系と485系は一緒につないで編成を組んで走ることができる。
最初はこんな鼻の長いボンネットタイプだったが、これは騒音・振動源となるコンプレッサーや電動発電機などをここに隔離し客室の静粛性を少しでも確保するためもあった。高い運転台は見晴らしも良くまたこの鼻先は万が一の際の緩衝部分にもなり得た。
しかし特急が[特別な急行列車」ではなく当たり前の存在になると輸送力の確保が急務となりまた長い固定編成ではなく短い編成を分割併合させる必要も出て来た。そこで通称「電気釜」と呼ばれる顔つきのモノが登場した。
もっとも…分割併合を行う列車はあったが、貫通路を使う機会は中々無かった。構造が複雑だったのも遠因だろう。またこの運転台は寒かった由。山陽・九州地区ですら寒さに苦情が出たのだから北陸・東北筋での厳冬期の運用ではさぞかし苦労があったのでは?
ということでこのスタイルのまま非貫通のモノが登場した。
電源を選ばないことから殊に日本海縦貫線系統では重宝されたことだろう。大阪〜青森間を結んだ[白鳥(当時)]などはこの系列でなければ運転できなかった。
閑話休題
>先頭車両にツバメをモチーフにした逆三角形のエンブレム
あれツバメがモチーフだったの?確か初代こだま型151系登場時に一般からデザインを募集しJNRマークが入賞し採用されたけどその時ボツになった中で葬り去るには惜しいとされたのがコレだったと聞く。尚このEmblemは485系だけじゃない。旧国鉄の特急用車輛なら185系電車やEF66ですら付けている。
特急用気動車キハ82系
電気機関車EF66。EmblemのUP。
485系の登場は1968(昭和43)年、前身の481系(1964/昭和39年)から数えると半世紀になる。勿論今生き残っているのは初期のモノではなく最終ロットだがそれでも35年以上経つ。
長くエースとして君臨しBusiness出張族や帰省客はじめ多くの旅客の夢を運んだ偉大なる名車に今惜しみない拍手を送り長年の労を労いたい。
そしてその歩みが止まり折り畳まれたパンタグラフが二度と上がらず主制御器回路に二度と電源が入らなくなるその日まで無事故で有終の美を飾って欲しい。
長年の盟友の引退はやはり一抹の寂しさが伴う。
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