日本がデフレから脱却できない最大の理由は、財務省の財政均衡主義よりも、むしろ、「デフレは貨幣現象、金融政策で変えられる」と無茶苦茶を主張した「いわゆるリフレ派」を安倍政権が重用してしまったことです。
<参考記事>
「マイナス金利がだめ押し?「円高・株安」でアベノミクスはもう限界」
http://president.jp/articles/-/17618
(前略)そもそもアベノミクスの根幹にあったのは「デフレは貨幣現象であり、金融政策で変えられる」というものだ。
だが、実際は理論通りにいっておらず、各種の経済指標が発表されるたびに首相官邸内は重苦しい雰囲気に包まれている。
デフレーションとは、GDPにおける「消費」と「投資」という総需要が不足し、供給能力(潜在GDP)が過剰になり、デフレギャップが生じることで深刻化する経済現象です。
消費や投資とは、皆さんが生産者として働き、生産したモノやサービスに対する支出です。
なぜ、総需要が不足するかといえば、バブル崩壊で国民が消費や投資を減らし、借金返済と銀行預金ばかりを増やす状況で、政府が「消費や投資を減らす」緊縮財政を実施するためです。
「デフレは総需要の不足」という言葉には、曖昧性が一切ありません。
それに対し、「デフレは貨幣現象」の「貨幣現象」とは何でしょうか。
あるいは、貨幣とはいったい、何を意味するのでしょうか。
貨幣には、いくつも種類があります。
(1)現金
(2)マネタリーベース(現金+硬貨+日銀当座預金)
(3)マネーストック(預金)
(4)アクティブマネー(モノやサービスの購入に使われたおカネ、つまりはGDP)
貨幣が(4)を意味するのであれば、総需要の不足と同じ意味になります。
とはいえ、誰も「貨幣」の定義を説明せず、抽象的な形で広まっていきました。
抽象的な「貨幣」という言葉が、政策の焦点を拡散し、いつの間にか財務省を助けるがごとく、「デフレは貨幣現象であるため、(消費税を増税しても、財政支出を絞り込んでも)おカネを発行すれば脱却できる」といったレトリックが、あたかも常識のように政治家に浸透してしまったのです。
結果、デフレ下の緊縮財政が強行され、「デフレ脱却」を標榜して誕生した政権が、三年経過してもインフレ率ゼロパーセント、という惨状に至ったわけでございます。
言葉は、考え方を規定します。
そして、考え方は行動を規定してしまうのです。
政府が「デフレは貨幣現象ではない。総需要の不足だ」と認識していれば、政策という「行動」が正しい方向に向かったはずなのです。
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