■「ブタ1名確保」「お前は犯罪者」辺野古でエスカレートする機動隊らの言動
(dot. - 12月08日 11:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=3749441
(わたしの紙面批評)辺野古移設 朝日新聞紙面審議会委員・斎藤美奈子さん
■環境保全、原点に戻り検証を/「遠近法」逆転の視点も必要
沖縄はいま、きわめて緊迫した局面を迎えている。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画にともない10月29日、国は名護市辺野古沿岸部で新工事に着工。11月17日には「代執行」に向けて翁長雄志知事による「埋め立て承認取り消し」の撤回を求める訴訟を起こした。12月2日には第1回口頭弁論が開かれている。
この件に対する朝日新聞のスタンスはおおむね支持できるものだった。とりわけ沖縄の歴史を踏まえて県民がNOを唱える理由を代弁した10月30日の社説「埋め立て強行は許されぬ」や、「辺野古が唯一の選択肢だ」と繰り返す政府を批判した11月18日の社説「『第三の道』を探るとき」は朝日の見識を示すものだったと思う。
ただ、いかんせん、コトの重大さが読者に十分伝わっているだろうかという懸念は残る。この一件は(1)米軍基地問題(安全保障問題)と、(2)民主主義的な手続きの問題と、(3)環境保全問題が複雑にからみ合っているからだ。
米軍キャンプ・シュワブ前では連日、市民の抗議行動が続いている。それについては、10月29日の夕刊社会面(「辺野古強行に騒然」)や30日の朝刊社会面の記事(「辺野古 届かぬ怒り」)が現場の空気を伝える半面、〈移設反対派と警察官がもみ合いになり逮捕者が出た〉(29日夕刊1面)などの「けんか両成敗」的な表現はやや疑問。県警のみならず、その後警視庁からも機動隊が派遣されている。この事実は、(2)の観点から見ても由々しきことであるはずだ。
1971年、成田空港の建設予定地における強制代執行をニュースで見て衝撃を受けた人は多いだろう。今日の沖縄の状況はあれに近い。国のやり方はあまりにも横暴に思える。
もうひとつ、辺野古の報道に不足しているのは(3)の観点からのアプローチだ。辺野古地区を含む大浦湾一帯は5300種以上の生物(260種余の絶滅危惧種を含む)が生息する世界的に見ても貴重な海であり、基地建設反対運動もそこに端を発している。サンゴ礁などの環境保全は生物多様性条約の締結国たる日本の責務だが、国は「なぜ辺野古か」を説明していない。反対運動が単なる地域エゴではないこと、辺野古の海の破壊が国民的な損失であることを知らせるためにも、ここは原点に戻って検証し直してほしい。
また、朝日のみならず10月29、30日の新聞はいっせいに「本体工事」という言葉を使ったが、別の雑誌は「厳密には埋め立ての本体工事ではない」という反対住民の声を拾っている(「DAYS JAPAN」12月号)。「本体工事」の根拠が〈防衛省沖縄防衛局は29日午前、「本日(午前)8時、公有水面の埋め立てに係る工事に着手した」と報道各社に発表した〉(10月29日夕刊)という当局の発表だけだとしたら、そこも検証が必要だろう。
遠近法ではないけれど、人間の目はどうしても遠いものを小さく、近いものを大きくとらえる性質がある。
11月13日のパリ同時テロは私たちを震撼(しんかん)させ、連日大きく報道されたが、前日の12日、レバノンの首都ベイルートでも過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した2件の自爆事件があった。43人が死亡、240人が負傷したが、わずか10行ほどのベタ記事で伝えられただけだった(11月13日夕刊)。これが「遠近法」である。
事件の背景に横たわる問題をも含め、朝日はよく取材していたと思うけれども、とはいえ、日本のメディアはどうしても国際ニュースは西側寄り、国内ニュースは東京寄りになりがちだ。だからこそ、ときには遠くと近くを逆転させる視点が必要ではないか。
琉球新報11月21日の社説はパリ同時テロ後の首相の発言を引きながら〈「フランスと共にある」が、「沖縄とは共にない」のが今の日本政府、安倍晋三首相である〉と皮肉った。中央の報道機関も私たち読者も重く受け止めるべき言葉だろうと思う。
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さいとうみなこ 文芸評論家。編集者を経て94年、近代文学評論「妊娠小説」でデビュー。02年「文章読本さん江」で第1回小林秀雄賞受賞。
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上記は、今朝の朝日新聞に掲載された、 朝日新聞紙面審議会委員・斎藤美奈子さんの「(わたしの紙面批評)辺野古移設」という批評である。
斎藤美奈子さんは、「沖縄辺野古沖米軍新基地建設問題」の問題が包含している問題性の重要性が二歩名本土のわたしたち国民に伝わってこない原因を次のように論じられている。
「ただ、いかんせん、コトの重大さが読者に十分伝わっているだろうかという懸念は残る。この一件は(1)米軍基地問題(安全保障問題)と、(2)民主主義的な手続きの問題と、(3)環境保全問題が複雑にからみ合っているからだ。」
その上で、海上保安官や警察庁機動隊が基地建設に反対する沖縄県民に対する�猖醜圻瓩鮗,里茲Δ墨世犬發�られる。
「米軍キャンプ・シュワブ前では連日、市民の抗議行動が続いている。それについては、10月29日の夕刊社会面(「辺野古強行に騒然」)や30日の朝刊社会面の記事(「辺野古 届かぬ怒り」)が現場の空気を伝える半面、〈移設反対派と警察官がもみ合いになり逮捕者が出た〉(29日夕刊1面)などの「けんか両成敗」的な表現はやや疑問。県警のみならず、その後警視庁からも機動隊が派遣されている。この事実は、(2)の観点から見ても由々しきことであるはずだ。」
たしかに斎藤美奈子さんが指摘する通りであろう。しかしながらそれと同時にわたしたち日本本土の国民が沖縄県に対して、あまりにも無関心であるということも否定することができないのである。
先日の「辺野古埋め立て代執行訴訟」における 翁長雄志沖縄県知事の意見陳述において、次のような注目すべき発言があった。
「一般の国民もそうですが、多くの政治家も、「沖縄は基地で食べているんでしょう。だから基地を預かって振興策をもらったらいいですよ」と沖縄に投げかけます。この言葉は、「沖縄に過重な基地負担を強いていることへの免罪符」と「沖縄は振興策をもらっておきながら基地に反対する、沖縄は甘えるな」と言わんばかりであります。これくらい真実と違い沖縄県民を傷つける言葉はありません。……(中略)…… 沖縄は基地経済で成り立っているというような話は今や過去のものとなり完全な誤解であります。/ 沖縄は他県に比べて莫大(ばくだい)な予算を政府からもらっている、だから基地は我慢しろという話もよく言われます。年末にマスコミ報道で沖縄の振興予算3千億円とか言われるため、多くの国民は47都道府県が一様に国から予算をもらったところに沖縄だけさらに3千億円上乗せをしてもらっていると勘違いをしてしまっているわけです。……(中略)……沖縄はサンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、27年間、各省庁と予算折衝を行うこともありませんでした。ですから日本復帰に際して沖縄開発庁が創設され、その後内閣府に引き継がれ、沖縄県と各省庁の間に立って調整を行い沖縄振興に必要な予算を確保するという、予算の一括計上方式が導入されたのです。沖縄県分は年末にその総額が発表されるのに対し、他の都道府県は、独自で予算折衝の末、数千億円という予算を確保していますが、各省庁ごとの計上のため、沖縄のように発表されることがないのです。/実際に、補助金等の配分額でみると沖縄県が突出しているわけではありません。例えば、地方交付税と国庫支出金等の県民一人あたりの額で比較しますと、沖縄県は全国で6位、地方交付税だけでみると17位であります。」
沖縄県は政府の都合によってわたしたち日本本土の国民が暮らしている地方自治体が国から受けている交付金と同じものを受けている。「沖縄一括復興交付金」という名称だけでわたしたちに何か沖縄県が米軍基地負担をしているために、わたしたちが受けている交付金以上の交付金を受けていると、誤った認識を持たされているのではないだろうか。沖縄県以外の都道府県は各省それぞれから交付金を受けている。しかし沖縄だけはそのような方式を取らずに、�牋豎膈瓩箸いκ�式で受けているだけのことなのである。つまり「沖縄復興交付金」は、日本国民であればだれでもが国から受けている�犂靄楜覘瓩任△辰董�決してポーなすではないということなのである。
マスコミはなぜこのような基本的な事柄を国民に伝えようとしてこなかったのであろうか。わたしはここに日本のマスコミの�狎�府寄り�瓩梁亮舛鮓�出してしまうのである。もしも沖縄県が国から交付金を受けている理由だけで米軍基地を引き受けろというならば、沖縄県以上に国から交付金を受けている地方自治体は米軍基地を受け入れない理由はどこにあるのか。その理由を聞かせてもらいたい。
「11月13日のパリ同時テロは私たちを震撼(しんかん)させ、連日大きく報道されたが、前日の12日、レバノンの首都ベイルートでも過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した2件の自爆事件があった。43人が死亡、240人が負傷したが、わずか10行ほどのベタ記事で伝えられただけだった(11月13日夕刊)。これが「遠近法」である。
事件の背景に横たわる問題をも含め、朝日はよく取材していたと思うけれども、とはいえ、日本のメディアはどうしても国際ニュースは西側寄り、国内ニュースは東京寄りになりがちだ。だからこそ、ときには遠くと近くを逆転させる視点が必要ではないか。
琉球新報11月21日の社説はパリ同時テロ後の首相の発言を引きながら〈「フランスと共にある」が、「沖縄とは共にない」のが今の日本政府、安倍晋三首相である〉と皮肉った。中央の報道機関も私たち読者も重く受け止めるべき言葉だろうと思う。」
琉球新報の社説でパリ同時テロ後の安倍晋三の発言を引きながら〈「フランスと共にある」が、「沖縄とは共にない」のが今の日本政府、安倍晋三首相である〉と皮肉ったと、斎藤美奈子さんは書いておられるが、わたしには安倍晋三は「フランスとともにある」が、決して「日本国民とともにある」とは思えないのである。なぜならば、安倍晋三が「沖縄とともにある」とは考えられないからである。沖縄とともにいないものが、どうしてわたしたち日本国ともとにあることができないのだろうか。そのことが機動隊の沖縄県民に対する�猖醜圻瓩�らよく見えてくるのである。
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