偏差値を憎む人がめっこり減りましたね。
おなじように読書感想文を嫌う人も減ってくれないものかしらん?
偏差値は教員の使い方が下手だったせいで悪者扱いされて学校教育の現場から追放されてしまいました。道具を道具として適正に使わない教員が多かったのがいちばんまずかったのです。
読書感想文も指導をまるでしない教員が今も昔も大量にいるせいで嫌われています。これほど文章力を上げるのに適した形式もないというのに、下手な指導者どものせいでご覧の有様ですよ。
教員の方々の多くは、ツッコミの力がまるで足りません。体制に唯々諾々と従い、長いものには巻かれろ力ばかりが発達していて挑戦を知らない者共が幅を利かせています。
そんな環境ではおそらく自らも読書感想文を書くことができないんだろうなあ、と思います。独自性を殺すことを金科玉条にしているような人たちですから。
言葉による攻撃ができないのがそのいい証拠です。攻撃すべき部分とすべきではない部分とを選り分けることができないので、ぜんぶ「なあなあ」で済ませる式しか解決方法を知らないんです。他者を育てる仕事をする人たちなのに。
攻撃をしない読書感想文の、なんと味気ないことでしょう。
攻撃をできない人間がしゃべる言葉、作文の、なんとつまらないことでしょうね。
◆
「空欄埋めて書く」感想文テンプレ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=29&from=diary&id=3569656
夏の宿題の定番、読書感想文。あるツイッターユーザーが、「読書感想文を書くためのテンプレート」があることを投稿し、波紋を広げている。
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このツイッターユーザーは「うちの小3生が持っていた読書感想文のテンプレ」という文言とともに、自身の子供が持っていたというプリントの画像を投稿。
「これで書ける! 読書感想文の書きかた」
と題されたもので、「ぼくは(本の名前)という本を読みました。この本を選んだのは、この本が(選んだ理由)からです」「いちばん心に残ったところは(だれ)が(どうした)ところです」などと書かれている。カッコ内を適宜埋めることで、読書感想文が完成するようになっているのだ。
大学で学生を指導する立場だと思われるこのユーザーは、
「今日の昼間に採点していた一般教養の授業の答案(文学部の学生はほとんどいない)の中に、このテンプレで書いたような文章はかなり多かったような気がする。『読書感想文』の呪縛恐るべし」
ともツイート。大学生になってもこのような、ある意味稚拙な文章から抜け出せない学生が多いことを指摘しているのだ。
これを受け、ツイッターでは、
「いいなぁ。私の子供ころにこういうのがあったらな。いきなり読書感想文を書けって言われても苦痛でしか無かったもの」
「テンプレから入って繰り返し自分の物(独自性)に向けるのが勉強だと思う。勉強とは人真似だし」
「読書感想文のテンプレ、めちゃくちゃ羨ましいし、小学生への『文章の組み立て方の基本』を教える意味ではテンプレとか最高じゃんって思います。模倣からしかオリジナリティは生まれない。本当に読書感想文苦手で、1週間以上かかっていた。読書大好きでも、感想とか言われると困るのは今でも一緒だ」
と、テンプレートやその利用を評価する声があがる一方、
「読書感想文の宿題、何がクソかってこのテンプレート通りに書かないとダメ出しされるという点だよな」
「テンプレートの存在が悪なんじゃなく、読書感想文用テンプレートをありとあらゆる書き物に適用してしまうのが問題なような」
「何か問題が有るなら、テンプレート自体ではなく、教える側がその応用を教えない・教えられない点だと思う」
など、「テンプレート」的な文章をよしとする国語教育の問題点を指摘する意見も投稿された。
読書感想文の宿題を課されたことを思い出す人も多いと思われる季節。国語教育について考えさせられた人は多かったようだ。
(花賀 太)
(R25編集部)
◆
(超耳)
>「いちばん心に残ったところは(だれ)が(どうした)ところです」などと書かれている。カッコ内を適宜埋めることで、読書感想文が完成するようになっているのだ。
甘いテンプレですよね。悲しくなります。
もっと攻撃をさせましょう。アグレッシブな意見を育てる数少ない機会を生かしましょう。
だって本は反論してきませんよ。下手な攻撃をしても誰も傷つかないのです。とりわけ未熟な子供本人が傷つかないという非常に恵まれたチャンスなのです。
「心に残ったところ」などという抽象表現に逃げるから、いつまでも書けないのです。いつまでも下手なのです。いつまでも同調圧力でしかモノゴトを収められないのです。
厳しいツッコミの目を育ててほしいなと思います。
「どうしても疑問に残るところがあります」「読み終わった今でも嫌な気分が抜けないのは」という文言を使ってみたらどうですか?
文学作品の多くは、必ず読者に嫌な思いをさせます。そして本を閉じたあとでも読者の心に嫌な気持ちを残すよう力を尽くします。そのことが現実を生きる力なり嫌な現実を改善する力なりにつながることを期待するからです。
だから大いに嫌な気分になりましょうよ。「どうしてこんなに嫌な気分にさせるんだよ!」という思いを感想文に書き残しましょうよ。
「感動したところは○○が■■を助けようとしたところです」とかバカらしい。すぐに助けずに逡巡したところに苛々しなかったの? 助けたあとに反省が足りない■■に敵意を覚えなかったの? そっちのほうの味をまるで味わわなかったかのようにするのは味音痴ですよ。
心ある筆者(作者)が書いた著作だったら、必ずツッコミに対する答えを考えることができます。未熟な子供や未熟なまま成人した大人なんぞが考えることなんかとっくに対策されていることが多いんです。人助けをためらう人物のためらいにこそ、作者が込めたものがあるのかもしれませんよ。命を救われておきながら反省が足りない姿勢に、下らない小さなプライドを命より大事にしてしまう人間のどうしようもない部分、でもちょっぴり愛らしい部分が潜ませてあるのかもしれませんよ。
もしそれを見つけられたら、素晴らしいですよね。
未熟な人間へ用意した作者の答えに気づくのって楽しいです。貴重な体験です。その点において読者よりも作者に近い立ち位置を得たってことですから。成長にほかなりませんから。
むずかしく言うと、子供には「問いを立てる」練習をしてもらいたい。その絶好の機会が読書感想文です。多少ムチャな問いを立てても許されて、ていねいに添削してもらえるチャンスが読書感想文です。
>模倣からしかオリジナリティは生まれない。本当に読書感想文苦手で、1週間以上かかっていた。読書大好きでも、感想とか言われると困るのは今でも一緒だ
悲しい叫びですよね。
「問い」を立てる能力に欠ける大人たちの悲鳴は、学校の現場から量産されています。
模倣がいい?
違うのですよ。読みながらツッコミをするのですよ。「どういうことだよ作者」と疑問を増幅させながら読むのですよ。
で、いい加減な論拠とでたらめなイチャモンになってしまったものを、指導してもらってまともなものにしていくんですよ。
模倣なんかしてもひとつも価値が生まれないし、練習になりませんよ。あ、模倣で身につく部分は「書写」で身につけたほうがいいですよ。英文とか繰り返して覚えていくうちに使えるようになるでしょう? いきなり下手な「模倣」英作文で身につけたりはしないでしょう? だから「模倣」はやめときなさい。「模倣」するくらいなら優れた感想文を「書写」するほうがいいのです。(宿題は終わらないけどさ)
読書感想文を書く体験、もっともっと、みっきりと積んでほしいなと思います。
(変なオノマトペを入れた感想文は避けたほうがいいと思います!すみません)
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