ドイツにはがっかりです。
彼らのほうがもしも先進的なものの考えをしているのだとしたら学びたいところです。でも学ぶ余地がない。
以下、ドイツ大使館のサイトからドイツ外務省の談話。
http://www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/05-politik/Menschenrechtspolitik/05-Bundesbeauftragter/20150625-straesser.html
◆
日本における死刑執行について
(訳文)
2015年6月25日付け
ドイツ外務省プレスリリース
シュトレッサー人権政策担当委員談話
クリストフ・シュトレッサードイツ連邦政府人権政策・人道支援担当委員は、本6月25日、日本において死刑が執行されたことを受け、次のとおり談話を発表しました。
「本日午前、日本において再び死刑が執行されたと聞き、衝撃を受けている。2012年12月に現政権が発足して以降、すでに12人の死刑が執行されたことになる。今回も、死刑囚本人への告知は執行直前であり、親族への通知は事後になってからであった。準備をすることも、互いに別れを告げることもできなかったのである。これは極めて理不尽かつ人間の尊厳に反するやり方であると考える。
死刑は、非人道的かつ残酷な刑罰である。ドイツ政府は、いかなる状況下であっても死刑制度に反対する。日本国政府に対しては、日本のように先進的な法制度を有する国において死刑がそもそもいかなる意義をもつのかについて、開かれた社会的議論を促すよう改めて呼びかける
◆
(超耳)
>死刑は、非人道的かつ残酷な刑罰である。ドイツ政府は、いかなる状況下であっても死刑制度に反対する。
ドイツってバカだなあ。
「いかなる状況下であっても」はそもカルネアデスの舟板に類似するケースですら除外することになります。
極端なことを言えば、死刑にしない限りバイオテロや核テロを防げないことが明らかだったとしても「ドイツ政府は、いかなる状況下であっても死刑制度に反対する。」と言わなければならない。
バカでしょう?
学ぶことなどないと私は思うのですよ、こんな精神的後進国などからは。
彼らは「今さら引っ込みがつかない病」を克服できない弱い魂でキャンキャン吠えているのだと思います。
殺された幼い子供、若い女性、なんの落ち度もなかった数多くの人たち一人ひとりの命を、死刑によって救えたかもしれないこと、あなた方こそ開かれた社会的議論を促すべきです。
『絶歌』とかいう本が売れているとかいないとか話題になっている昨今ですよね。
もうちょっとだけ死刑制度が拡充されていたらどんなに安心だっただろうと私は考えます。少年Aがこの世のどこにもいなかったらどんなに安心だろうと考えるのです。
考えていいのですよ。人の死を望むことは考えることもいけないなどという硬直こそ、唾棄すべき邪悪の根なのです。ヒトの命だって、考えの土俵に載せていいし、載せるべきには載せなければならない。
当たり前でしょう?
自分では検討することすら放棄したドイツばらが死刑制度先進国である我が国に「開かれた社会的議論を促す」とは矛盾もいいところでかたはらいたい。
君たちは考えていないじゃないか。
>ドイツ政府は、いかなる状況下であっても死刑制度に反対する
この文言ですよ。
検討をサボり議論から逃げている。
そういう連中が、
>開かれた社会的議論を促すよう改めて呼びかける
だそうですから。
他人に要求することを自分でやっていないのってみっともない。
ドイツこそいかなる状況下であっても反対なんかしてないで、ちゃんと議論しなさい。
死刑に反対するなら反対するで、言いようもあるだろうに、コレ。こっけいですよね。
「いかなる状況下であっても」の軽々な使い方、他人に要求することを自分で放棄する愚、もうちょっとなんとかならないのかなと思います。ドイツ外務省も無能がトップか、とあきれます。
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