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2015年06月26日12:53

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高橋源一郎さんの�狠療�好奇心�瓩硫∪垢�

■首相、安保法案「合憲の根拠は砂川判決」 衆院特別委
(朝日新聞デジタル - 06月26日 11:58)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3486282

「〈憲法と民主主義〉独学で見えてきたこと 高橋源一郎」
 辞書を引きながらであれば、少し、ドイツ語を読むことができる。ずっと辞書を引きっぱなしでよければ、ロシア語もなんとかわかる。どちらも独学だ。
 18歳の時、拘置所に7カ月と少し入った。その頃、社会や政治について話す自分のことばの薄っぺらさが心底イヤになっていた。すべてが受け売りに思えた。だから、なにもかも一から勉強しようとした。翻訳ですら信用できず、読むなら原典にあたるしかない、と思い詰めていた。あらゆる本を読んだが、正しく学問の方法を学んだことがないので、わからないままのことも多い。独学の弊害だろう。だが、独房がわたしの大学だった。
 今月初め、国会に参考人として招致された学者たちが「安保法制」を「違憲」であると発言し大きな話題になった。「安保法制」の問題点について語る小林節さんや長谷部恭男さん〈1〉のことばは、わかりやすく、しかも、そこで大切なことがいわれていることもわかった。けれども、それを受けとめる側の自分に、ほんとうに必要な知識がないような気がした。まず、勉強しなくちゃ。
 内閣法制局長官だった阪田雅裕さんの『政府の憲法解釈』〈2〉〈副読本は『みんなで読む国連憲章』〈3〉〉を読み、多くの疑問が解けた。「憲法」の「解釈」は勝手に変えてはいけないものだ、ということ、「集団的自衛権」というものは、国連憲章で初めて生まれた新しい概念で、わかりにくく、実際には、旧ソ連やアメリカの軍事介入の口実に使われていて、問題が多いこと。
 「安保法制」が「違憲」ではないことの例として「安保条約下」の「米軍駐留」を事実上「合憲」とした「砂川判決」というものが挙げられていたので、ネット上で判決文〈4〉を探しだし、その全文も読んだ。判決文よりも、その補足として書かれた田中耕太郎最高裁長官の意見が、異様なほど「合憲」推しで、そのアツさにびっくり。参考のために『砂川事件と田中最高裁長官』〈5〉を読み、田中さんが駐日アメリカ公使と入念な打ち合わせをしていたことにもびっくりした。日本の「司法」はアメリカの意向を大切にしていたのだ。だが、いちばんびっくりしたのは、「法」というものが、この「司法判断」のように、ときに大きく社会を動かしてしまう力を持っている、という事実だった。
 法律の専門誌が示し合わせたように、ほぼ同時に「憲法」や「戦後70年」や「集団的自衛権」に関する特集を出した。「論究ジュリスト」の巻頭鼎談(ていだん)で、樋口陽一さんは、フランス人研究者の論文をとりあげ「彼によると憲法そのもの、そしてそれを取り扱う憲法学が、戦後日本の権力に対する抑止要素として……役割を演じてきた」とした〈6〉。
 また、「法学教室」の巻頭論文で、佐藤幸治さんは、現在の日本国憲法を「立憲主義の到達点」とした上で、ドイツ憲法(基本法)草案にある、こんなことばを引いている〈7〉。
 「国家は人間のために存在し、人間が国家のためにあるのではない」
 「(憲)法」は、国家のあり方を規定する。「(憲)法」や、その解釈が変えられるということは、国家のあり方そのものが変えられることに他ならない。特集から伝わってくる学者たちの切迫した思いは、その事実からやって来る。
 いま「民主主義」そのものの意味が問われる時代になって、その始原にまで溯(さかのぼ)って考えたいと思い、橋場弦さんの『丘のうえの民主政』を読んだ〈8〉。ここに描かれた、歴史上初めて「民主主義」を生んだ古代アテナイの人びとの壮大な実験が胸をうつ。平和の時代ではなく、絶え間なく続く戦争の最中にあって、アテナイの人びとは、熟議と公平を追求した。
 なぜ、2500年も前の古代ギリシャの政治体制を探究する必要があるのか。すべての市民が「政治」への参加を要請された共同体とは何だったのか。橋場さんは、その問いにこう答えている。
 「ペリクレスが理想とした民主政とはたんなる国家制度ではなく、一つの生活様式(way of life)であった。そこではどの市民も民主政への参加を期待される……われわれが現代に生きる限り、何かの専門領域にしばられるのは避けられない宿命である。広い意味での官僚制なしに近代文明が一刻も維持できないのは、だれもが承知していることだ。にもかかわらず、民主政と官僚制とは根本のところで相容(あいい)れない。自分の専門領域だけに閉じこもる無機的な人間だけが社会を構成するようになったとき、民主政は生きることをやめるだろう」
 政治家たちの中に「学者」を毛嫌いする気分があるのは、自身の「専門領域」を侵されることへの本能的な反発があるからだ。だが、人々が、それぞれの「専門領域」へ閉じこもることへの危惧から、民主政は始まったのである。
 スペイン語を始めた。もちろん独習。パブロ・イグレシアスというスペインの若い政治家の記事〈9〉を読んでからだ。彼はオキュパイ(占拠)運動の先がけ「M15運動」から生まれた市民政党「ポデモス」の党首。ポデモスは欧州議会選挙で国内第4党に躍進し、総選挙の結果次第では首相の可能性も取り沙汰されている。そんな彼の躍動する演説は、音楽とミックスされ、ラップとして広がっている(!)。いま生まれつつある、社会を作る新しいことば。それをどうしても読みたかったのだ。
     ◇
〈1〉小林節、長谷部恭男ら憲法学者3氏が衆院憲法審査会で、安全保障関連法案を「違憲」とする見解表明(今月4日)
〈2〉阪田雅裕『政府の憲法解釈』(2013年刊)
〈3〉『みんなで読む国連憲章』(1991年刊)
〈4〉砂川判決の裁判要旨と全文など(http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816 )
〈5〉布川玲子・新原昭治『砂川事件と田中最高裁長官』(2013年刊)
〈6〉樋口陽一らの鼎談「いま考える『憲法』」(論究ジュリスト・春号)
〈7〉佐藤幸治「1945年8月15日と日本国憲法」(法学教室5月号)
〈8〉橋場弦『丘のうえの民主政』(97年刊)
〈9〉パブロ・イグレシアス「『我々にはできる!』」(世界7月号)
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上記は、昨日の朝日新聞に作家・高橋源一郎さんが毎月連載している、�猩醒纏�評�瓩痢屐匏�法と民主主義〉独学で見えてきたこと」の全文である。

高橋源一郎さんは今国会で審議されている「安保法案」に対して、多くの憲法学者が�犒�法違反�瓩任△襪犯�言したことが大きな話題となるなかで、「受けとめる側の自分に、ほんとうに必要な知識がないような気がした。まず、勉強しなくちゃ。」と思い立ち、内閣法制局長官だった阪田雅裕さんの『政府の憲法解釈』〈有斐閣)と副読本とてしは『みんなで読む国連憲章』〈潮文社)を読まれて、学ばれたという。

さらに政府が集団的自衛権行使の法的根拠としている最高裁の砂川事件判決に関しては、『砂川事件と田中最高裁長官-米解禁文書が明らかにした日本の司法』(日本評論社)とを読まれたという。

高橋源一郎さんの知的好奇心の旺盛さには驚く限りである。坂田雅裕著『政府の憲法解釈』は一度、買って読まなければと思っていた。一体政府の憲法的解釈はそもそもそう容易く変えられるものなのかという思いが強くしていたのである。

さらに砂川事件に関しては、最高裁判所長官だった田中耕太郎が事前にアメリカのマッカーサー大使などと面接し、事前に判決の日時などを伝えていたということ、そして日米安全保障条約が日本国憲法に合憲であると違憲であるかの判断は司法の立場としては行わないとしたことなどは分かっている。しかしもう一度、『砂川事件と田中最高裁長官』を買って読んでみたいように思える。

しかしこのような高橋源一郎さんの�狠療�好奇心�瓩髻�国会で安保法案を質疑している国会議員たちにも持っていてほしい。いや、日本の近・現代史や沖縄の近現代史についても同様である。物事を議論する場合には、その前提としてその物事に関する知識を持たなければならない。その知識は、ネット上の情報ではなく、しっかりとした書籍を読まなければならない。なぜならば、その書籍に間違いがあれば、その書籍を出版した出版社が責任を問われる。それに対してネット上の情報については、その情報源がどこにあり、だれに責任があるのか、全く分からないのである。

つまりこのような意味でわたしは書籍に基づく知識でないと、どのような書き込みでも相手にしないことにしている。もっといえば、ネット上の情報を得るにはほとんど労力もお金もかかっていない。それに対して書籍には書店に行ってその本を買い、そして読み理解するという労力が必要となるからである。

わたしは、恩師・原野栄二先生から「本は図書館で借りて読むな、書店に行って買って読め」といわれ続けてきた。なぜならば、自腹を切って買った本はそれなりに自分に想い意味があるからだと言われるのである。わたしはその原野先生の言葉に一理あると思い、書籍は書店で買って読むことにしている。

わたしは、朝日新聞に連載中の高橋源一郎さんの「論壇時評」が大好きである。自分が知らない書籍を高橋さん自身の切口から紹介してくれているからである。そして高橋さんの�狠療�好奇心�瓩暴�わなければと考えているのである。
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