沖縄発「女性から男性へ、戸籍を変更した私の誇り――」
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(日曜に想う)同性婚「ありのまま」を尊びたい 特別編集委員・冨永格
「これは人類の敗北です。宣教活動を強めなければなりません」
思い詰めたようなこの発言、真新しい宗派ではなく、カトリックの総本山ローマ法王庁の最高幹部である。
世界に12億の信徒を抱えるバチカンにそこまで言わせたのは、国民の85%がカトリック教徒というアイルランドの「背信」だ。5月の国民投票で、同性間の結婚を認める憲法改正が決まった。賛成62%。1996年まで離婚さえ認めず、93年まで同性愛が犯罪だった国の変わりようは激しい。
同性婚を「自然に反する」と拒否する教会は、旧来の価値観を重んじる市民たちと反対運動を繰り広げた。ただ聖職者による児童の性的虐待など、あまたの醜聞で教会離れも進んでいた。政党はこぞって賛成に回り、ケニー首相は「わが国民は寛大で勇敢、喜びにあふれている」と結果を祝した。
21世紀に入り、同性婚に法的根拠を与える試みが続く。やはり欧州を先駆けに広がった、20世紀後半の死刑廃止を思わせる潮流である。潮は正しい向きに流れていると、私は考える。
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これまで同性婚を認めたのは、何かにつけて寛容なオランダや北欧だけではない。スペインなど、伝統的にカトリックの影響が強い国も含まれる。
国論二分の末、2013年に法制化したフランスでは、昨年だけで1万組が結婚した。全婚姻の4%だ。国立人口研究所で性の問題を担当するマリアンヌ・ブリドン助教が語る。
「欧州の同性愛者は認知と平等を次々と勝ち得ている。わが国の場合、教会が強い隣国スペインに先を越されたのが大きかった。人権大国のはずが、何をもたついているんだと。欧州人権裁判所への提訴など、国境を超えた枠組みや連帯も効いています」
ドラノエ前パリ市長(65)ら、同性愛者であることを隠さぬ政治家も多い。ルクセンブルクのベッテル首相(42)は5月、同じ男性のベルギー人建築家と結婚した。ベルギーのディルポ前首相(63)も同性愛者だと公言している。首都ブリュッセルには母国でのけ者にされた同性愛者が集い、市当局は「ゲイ観光」に力を入れる。
カナダ、南アフリカ、アルゼンチンと、同性婚の適法化は他の大陸にも広がる。米国では7割の州が認め、5月の世論調査では63%の国民が同性婚を是とした。01年は40%だった。
イスラム教徒が大半を占めるトルコでも、今月の総選挙で、同性愛を含むLGBT(性的少数者)の権利擁護を公約に掲げた政党が躍進した。
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同性愛者は、人口の3%とも5%ともいわれる。「異性愛者」は奇異の目で見がちだが、ことは性的指向、生まれつきという意味では右利き左利きほどの違いだろう。異性愛と同性愛の関係は、健全と病癖でも、正常と倒錯でもなく、単に多数と少数なのだ。
ところが主だった宗教の多くが禁じたことで、欧米や中東の同性愛者は差別と迫害にさらされてきた。よりおおらかだった日本も、明治以降は西洋に倣うことになる。異性愛を当然とする社会では、同性の愛は処罰か治療の対象だった。目に見える変化が兆すのはここ半世紀ほどである。
同性愛は主義主張ではない。人間という生物の実態だ。嫌悪し動揺する人にしても、他人の幸せと利便を妨げる権利はない。気持ち悪いというなら、私はむしろ「男は人前で泣くな」といった決めつけに違和感を覚える。
同性婚は夫婦別姓と同様、すぐれて個々の選択だ。人に迷惑をかけるわけでも、誰かの家族観に踏み込むものでもない。こうした問題への姿勢は、すなわち別の人生に対する想像力、寛容のほどを示す。ムラ社会の秩序を超えて、誰とも違う「ありのまま」の個性と、多様な生き方を尊びたい。
互いに干渉はしないが、いざとなれば人として助け合う。そんな社会がいい。自覚もなく多数派に身を置いてきた男の、反省を込めた思いである。
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上記は、今朝の朝日新聞に掲載された、 朝日新聞特別編集委員・冨永格氏による「(日曜に想う)同性婚「ありのまま」を尊びたい』というコラムの全文である。
女性から男性に性別を変更し、それによって父親になることが最高裁で認められたというニュースを聞いて久しい。家族の在り方・かたちはいろいろとあっていい。その当事者たちにとって一番幸せだと感じられるかたちが最もいいかたちなのだ。社会はそのことを最大限に尊重すべきなのである。
LGBTという言葉が日常的に聞かれるようになった。LGBTとはいわゆる性的マイノリティの人たちのことである。この性的マイノリティの人たちを尊重しない国ではオリンピック・パラリンピックは開催しないということはがオリンピック委員会で決定された。
では、日本の現状はどうだろうか。日本政府は「同性婚」に対して極めて消極的、いや反対さえしている。そのような態度ははたして性的マイノリティの人を尊重していることにつながるのだろうか。
わたしたちがこのような問題で検討していかなければならない課題は山のように多いのである。
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