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2015年06月17日19:07

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‘’通り一遍の主張‘’に終始していると言うことか。

太田出版、元少年A「絶歌」出版への批判にコメント 出版は継続していく意向
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3471269
「遺族感情を逆撫でする」「人を殺めて印税をもらう行為を許せるはずがない」「遺族にことわりなく出版する版元の良識を疑わざるを得ない」…と、この手の犯人の手記が世に出れば、このような批判はあって然るべきところでしょう。取り分け、殺害した男児の頭部を目立つ場所に掲げるなど、その猟奇性で注目された少年犯罪だったので、なおさらではないかと思います。
「このような猟奇殺人の遺族になれば誰だって手記上梓を許さんだろう」と、私も思います。しかし、版元の太田出版にはこの手の批難を覆してまで、これを世に出した理由があったはずですし、それを承知の上での上梓だったと思います。
しかし、記事を見る限り、版元のコメントは‘’通り一遍‘’のレベルに終始している印象を感じますね。「本人の弁解の書」でもなければ「猟奇殺人を再現したり、忌まわしい事件への興味をかき立てることを目的にしたもの」でもない。そんなことは至極当たり前ですし、犯人の手記ならば「加害者本人の手で本人の内面を抉り出し、この犯罪が起きた原因について本人自身の言葉で描いたもの」に決まっていると思います。 
「どこにでもいる普通の少年」がかくも猟奇的な殺人を犯したのか。「少年期特有の性的衝動、心の揺れなど」は、誰しもあるように思えますし、そんな至極一般的な理由で、犯行を説明できるのか。「加害者の考えをさらけ出すことには深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味がある」と版元は言います。確かに、犯罪社会学や犯罪心理学の研究テキストとしての意味はあるでしょう。大学のゼミや講義の課題図書となる動きも、あるかもしれません。
しかし、版元が期待するような、今後同様の犯罪が起きないための‘’警鐘‘’の役割よりも、追随する新たな事件を誘発するような‘’副作用‘’の危険のほうが大きいのではと、私としては思います。取り分け、今どきの世の中の意識の動きを考えると、なおさら思いますね。
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