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2015年05月30日11:42

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新しい言葉にもそれなりに意味がある。

蛯原友里、前代未聞の“W専属モデル”就任を発表 日本ファッション誌史上初の快挙
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=3441888

皆さんのご批判の通りW専属っておかしいよなあとは思うけれども、
一般的にあるような媒体を選ばない活動ではない、
専属契約を少数だけ結ぶ形態を示す言葉はないので、
そうなると現時点ではダブル専属が適切なのかという事になります。
無理に寡専契約などと名付けても、漢字の意味は通っても意味がわからないのです。

ダブル専属は確かにおかしいけれど、考えてみるとこれまではもっとおかしくて、
A機種・B機種 専用交換部品
とか普通に(←)存在しました。それは共用部品だ。
それから考えれば、一見おかしく見えるけれども問題意識を持っているだけましかもしれません。

上で使用した「普通に」も、10年ほど前には「普通ってなんだよ」と話題になりました。
しかし、例えば、
「普通に美味しい」とは、
「絶賛するほどではないが、かといってお世辞でもなく、美味しい」
「(味が予想できない素材だが)一般的な範疇で、美味しい」
など、説明が難しい表現を簡潔に述べている点で新しく、機能的といえます。
普通に存在しましたというのも、言い換えれば「問題意識を持たれる事なく広く社会に存在した」という事になります。
実際にはこれらは、前後の文脈で違う意味を持ちながら一定の範囲の価値観を表す、高度な国語表現だと思います。

ら抜き言葉もよく批判されますが、
「見られる」のもつ「見ることができる」「他人から視線を向けられる」「ご覧になる」のうち、
可能であることを表す表現にしか使われていないことがわかっています。
ただの間違いではなく、機能面で分離する過程であると言えるでしょう。

100年後ぐらいの授業では、
先生「昔は『見られる』と表現していたんですよ」
生徒「えーじゃあ他と区別したいときに不便じゃん!」   (←じゃん?)
みたいになっているかもしれません。
古語の「る・らる」には国語用語でいう「自発・可能・受身・尊敬」の意味がありますが、
現代語「られる」ではすでに自発の意味は損なわれています。

正しい国語を追求するのは間違いなく正しいと思うのですが、
変化を好意的に解釈するのもまた有意義な感じはします。
また、正しさとはどこに基準を置くかという問題もあり、
やみくもに自分が情報を得た時点のものが正しいと言い切るのもおかしいはずです。



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気になって検索したところ、ただの「小学館専属」でした。
もうそれでいいじゃん。
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