今回、蔵書の整理をした中で、ハイデッガーの「SEIN UND ZEIT」と「Kant und Das problem der Metaphysik」という二冊の洋書だけが売れ残ってしまった。売れ残った理由は、書き込みが多くなされていたからである。
わたしは、京都にある大谷大学で西洋哲学、カントの批判哲学を専攻していたことは何度も書いているのだが、わたしがカントを専攻しようと考えた理由に、柳田謙十郎さんの『西田哲学入門』という著作であった。
その著作には、「西田哲学をやるためには、少なくともカントとヘーゲルとはわかっていなければならない。しかしカントやヘーゲルを専門にやろうと思うと、一生をかけることになる。だから最低でも西哲叢書の高坂正顕氏の『カント』、高山岩男氏の『ヘーゲル』は読んでおかねばならない」と書かれていたからである。
わたしは、大谷大学に最初から文学部哲学科に入学することができたわけではない。文学部哲学科を不合格となったが、短期大学部仏教科にかろうじて引っかかったので、そこで二年間、親鸞を中心に仏教を学んだ。当時は短期大学部仏教科の多くの学生が文学部三回編入をめざしていて、短期大学部の二年間を文学部三回編入のための�狃猗�期間�瓩世塙佑┐覲慇犬�多かったが、わたしにとっては、あの二年間に親鸞や宗教に対する自分なりの考えの�犂靄槝�線�瓩�できたように思える。
実際に真宗や仏教に関する授業は、�狠惨�大学部だから�瓩噺世辰董�入門的・初歩的な内容の授業レベルではなく、専門的な授業が行われており、授業についていくためには、それなりの�狃猗��瓩�必要で、真宗や親鸞関係の書籍を読みあさる日々が続いた。
さて、何とか文学部哲学科に三回編入ができたわたしにとって、毎日が語学攻めの日々が続いた。一般教養でのドイツ語の授業や西洋哲学基礎購読、哲学科購読、その上、訓覇ゼミでのカントの『純粋理性批判』をテキストとした授業と、朝から夜まで語学漬けの日々が続いた。
ある日の訓覇ゼミでは、四回生の人がカントの『純粋理性批判』を読む順番だった。しかしその人は予習をやってこなかった。その日は20人ぐらいいた四回生は全滅で、訓覇先生から「予習しないで授業には出席するなと、前にも言ったと思うが、きみたちはそのことを忘れたのか」と怒られた。
そのあと、三回生の順番に当てていったが、誰一人として予習をやってきている人はいなかった。「やってません」「やってません」という三回生の声に苛立ちを隠し切れなくなってきた訓覇先生の様子が見えてきた。そして最後にとうとう私の順番となった。わたしは編入生であるから名簿順では一番最後となる。
大体、四回生の順番だから、わたしまで回ってくるはずはなかった。だから予習等、やってきているわけはなかった。ただ、わからない単語だけは調べておいた程度だった。しかしわたしまでか「やっていない」というと、訓覇先生のお怒りは爆発してしまう、だから何とか調べてきた単語からそのドイツ語の文章をたどたどしく訳していった。訓覇先生に役を直してもらいながらも呼んだ。普通ならば、一人は半ページで終るところを一ページ半訳されることになった。
そして訳し終わると、訓覇先生がわたしに「きみはドイツ語が読めるのだったっけ?」という言葉をかけられたことを覚えている。その意味は未だによくわからないだが、そんな言葉をかけられたことを覚えている。
大谷大学哲学科西洋哲学分野専攻では、とにかく�犖興饉腟銑瓩い�なるテキストであっても、原書で読む。もちろん日本語訳かあれば、それらを参考にしてもよいし、英訳があればそれを参考にしてもいいというルールがあった。そして卒業論文ではテキストを原書で読むと当時に参考書も第一、第二外国書で書かれた書籍を一冊は参考とするというルールがあった。修士論文はその参考文献が二冊に増えていた。
今回、売れ残ったハイデッガーの「SEIN UND ZEIT」は大学院時代の西谷啓治先生の文献研究の授業で読まれたテキストであり、「Kant und Das problem der Metaphysik」は、わたしの修士論文作成時の参考文献であり、もう一つハイデガーの弟子であるHermann M. Rchenが書いた「Einbildungskraft bei Kant」というテキストも参考文献として用いた。そちらはあらかじめ前頁コピーを取ってノート代わりに使っていた。
売れ残った二冊の洋書から懐かしい大学時代の思い出がよみがえってくる。あの時はまだ自分も大学での�犖Φ羲圻瓩瞭擦鯡憾�ていた頃である。しかしその夢も32歳で捨てて、あっさりと民間企業に�狆祿下垳柩冢鉢瓩能⊃Δ靴討靴泙辰燭�、しかし哲学の研究は捨て難かった。哲学への思いは未だに未練たらたらである。
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