mixiユーザー(id:26450852)

2015年03月28日12:48

322 view

沖縄からの警告―�狎鐐茲悗瞭鮫瓩鯤發濬个靴親�本社会への�犒拗隲�

■安倍首相、「わが軍」発言釈明=「訓練相手の他国軍と対比」
(時事通信社 - 03月27日 19:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3342199

[「わが軍」「八紘一宇」]緊張欠く慢心発言次々
 安倍晋三首相が国会で、自衛隊を「わが軍」と表現した。菅義偉官房長官は「自衛隊が軍隊であるかどうかは、定義いかんによるものだ。誤りとの見解は全く当たらない」と弁護し、問題ないとの認識を示す。
 ということは、防衛相が「わが軍」だと言っても、何も問題ないということなのか。
 「わが軍」発言があったのは、20日の参院予算委員会。安倍首相は自衛隊と他国の軍隊との共同訓練に触れ、「わが軍の透明性を上げていくことに大きな成果を上げている」と言及した。
 憲法9条は第2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定している。そのため政府は答弁書などで、戦力を保持する軍隊と区別し自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力組織」と位置付けてきた。
 案の定、野党からは「軍隊ではなく自衛隊、軍人ではなく自衛官だ。これが憲法の制約」「戦争する国づくりに一路まい進しているという本音だ」と批判が相次いでいる。
 佐藤栄作首相が「自衛隊を軍隊と呼称することはしない」(1967年3月、参院予算委員会)と答弁するなど、憲法上の厳しい制約から「自衛隊は通常の観念の軍隊とは異なる」というのが政府の見解であったはずだ。
 「自衛隊は事実上の軍隊であり、憲法に違反している」と主張するのは、ある意味で筋が通っている。しかし、首相や官房長官が公然と「自衛隊=軍隊」論をぶつのは、自ら憲法の制約を無視するようなものである。
    ■    ■
 かつて、中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田正晴氏は、イラン・イラク戦争で自衛隊掃海艇のペルシャ湾派遣の話が浮上した際、職を賭して反対し、前のめりになる中曽根康弘首相にブレーキをかけた。
 安倍政権には、首相にブレーキをかける役割の政治家が見当たらない。 
 それは国会の中で堂々と「八紘(はっこう)一宇」が語られる「緩い空気」とつながっている。
 16日の参院予算委員会で自民党の三原じゅん子議員は「八紘一宇」を「日本が建国以来、大切にしてきた価値観だ」と訴え、今後の日本のあるべき姿として紹介した。
 八紘一宇には「世界を一つの家とする」という意味があるが、戦前・戦中にはアジアへの侵略を正当化するスローガンとして使われた。
 三原氏が「八紘一宇」を持ち出したのは、多国籍企業に対する課税問題を取り上げた時である。必然性のない、意味不明な言い回しだ。
    ■    ■
 安倍首相の歴史認識が問われる戦後70年談話がこの夏、発表される。
 統一地方選が終われば、安保法制の条文化作業も本格化する。安倍首相は日本をどこへ引っ張ろうとしているのだろう。
 自民党の党是として憲法改正を方針に掲げるのはいいが、安倍政権は憲法9条軽視があまりに露骨だ。
 憲法は99条で、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負うと定めていることを忘れてはならない。
****************************************************************************
上記は、今朝の「沖縄タイムス」の�犲卆皚瓩料簡犬任△襦�

沖縄県は辺野古沖の米軍基地建設問題で、日本政府と鋭く対立している。しかしこの問題は単に�牴�縄だけ�瓩量簑蠅任呂覆い里澄�
****************************************************************************
特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ
(毎日新聞 2015年03月27日)
 16日の参院予算委員会で、自民党の三原じゅん子議員が戦争遂行のスローガンに使われた言葉「八紘一宇(はっこういちう)」を肯定的に紹介してから10日余り。大きな問題にはなっていないが、戦後70年を迎える折も折、「良識の府」参議院で飛び出した発言を忘れ去っていいのだろうか。
 「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。初代神武天皇が即位の折に『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ』とおっしゃったことに由来する言葉です」。三原氏は国際的な租税回避問題に関する質問の中で、この言葉を持ち出した。「現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」というのが、その理由だった。
 しかし、言うまでもなく「八紘一宇」は、日本を盟主とする世界統一の理想を表すものとして、戦意発揚に用いられた言葉だ。日本書紀の「掩八紘而為宇」という漢文から「八紘一宇」を造語したのは戦前の宗教家、田中智学(ちがく)とされる。
 一方、三原氏が事前に参院予算委員全員に配布した説明資料には、八紘一宇について<日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう>と記されている。出典は1938年に出版された清水芳太郎著「建国」という書物だ。
 国会図書館に出向き、デジタル保存されている同書を閲覧した。すると、三原氏の配布資料に含まれていないページにも、気になる記述があった。日本書紀の「掩八紘而為宇」の直前にある「兼六合以開都」を、こう解釈しているのだ。<六合を兼ねて以(もっ)て都を開き=とあるのは、思うにその時は大和を平定したに過ぎず、まだ奥の方に国はあるけれども、それは平定していなかった。(中略)大和が皇化されるならば、更に進んで全世界を皇化せねばならぬと仰せられたのであろう>
 「六合」とは天地と四方。田中智学は、この「兼六合以開都」からも「六合一都」(世界を一国に)を造語したとされる。戦前や戦中には「八紘一宇」とセットで用いられることも少なくなかった。
 学問的な評価はさておき、三原氏が今回の質問にあたって依拠した書物ににじむ思想は、三原氏の言う「日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」と言えるのか。首をかしげざるを得ない。
 清水とはどんな人物だったのか。鹿児島大の平井一臣教授(政治史)が2000年に著した「『地域ファシズム』の歴史像」によると、1899年、和歌山県に生まれた。早稲田大卒業後の1928年から西日本新聞の前身の一つである九州日報の主筆。のちに健康食品などを開発、販売する清水理化学研究所を設立。同研究所を母体に国家改造運動団体「創生会」を結成し、農村救済などに取り組む。41年に飛行機事故で死亡するまでジャーナリスト、発明家、活動家と目まぐるしく職業を変えた生涯だった。
 平井教授は「清水は主に九州北部で活動したため知名度は高くありませんが、『日本的ファシストの象徴』といわれた北一輝の流れをくむ国家主義者です。体系的思想よりも、時事問題を分かりやすく文章にまとめるのが得意だったようです」と語る。
 清水が注目されたのは37年7月の日中全面戦争の勃発以降だ。同年内に2回も中国戦線を視察し、九州各地で大規模な報告会を開いた。清水が率いる創生会はその後、日独同志会結成や排英運動でめざましい活動を続け、軍部からも、その大衆動員力を注目されたという。「『建国』は日中全面戦争勃発の前後に書いた文章をまとめた本です。この時期から創生会は農村救済から軍部への協力に軸足を移し、運動を変質させていった」と平井教授。本の扉には「八紘一宇 陸軍中将 武藤一彦」と大書されている。
 「満州出兵は日露戦争の権益を確保するためと説明できたが、権益を持たない中国全土を相手にした戦争は国益論では正当化できなくなった。このため軍部は、他民族に優越した日本民族を中心とした東亜新秩序の構築のためという虚構をつくり上げた。八紘一宇は、その虚構を支えるスローガンだった」。平井教授はそう指摘し、三原氏の発言については「今の時代に、国会で『八紘一宇』や清水芳太郎の名前が出るとは思わなかった」と驚きを隠さない。
 三原氏は毎日新聞の取材に文書で回答を寄せた。数多くの文献の中から「建国」を選んだ理由については、同書の一節に<現在までの国際秩序は弱肉強食である><強い国が弱い国を搾取する>などの表現があり「現在のグローバル資本主義が弱い国に対して行っているふるまいそのままだと思い引用した」と説明。「時代状況を踏まえぬ言葉の解釈だ」との批判に対しては「八紘一宇の元々の精神は、少なくとも千数百年もの間、『我が国が大切にしてきた価値観』だったわけで、戦前はその精神から外れて残念な使われ方がされたものであり、だからこそ元に戻ろうということ」としている。
 ◇象徴の塔が物語る侵略の歴史
 「今でも宮崎県に行くと、八紘一宇の塔が建っております」。租税回避問題に絡んで「八紘一宇」を持ち出した三原氏に対し、麻生太郎財務相はこう応じた。神武天皇即位からとされる「紀元2600年」を祝って1940年に建てられた高さ37メートルの塔は、今も宮崎市平和台公園にそびえる。記者は宮崎に飛んだ。
 満開の山桜。春らんまんの公園には家族連れのほか、シンガポールや台湾のツアー客が訪れ、塔に続く階段で記念撮影を楽しんでいた。
 県職員立ち会いの下で塔内部に入った。正面には秩父宮(昭和天皇の弟宮)の真筆「八紘一宇」が納められていた「奉安庫」。周囲には軍用機や戦艦が描かれた「大東亜の図」や移民船が描かれた「南米大陸の図」、神話の「天孫降臨」「紀元元年」など8枚の石こうのレリーフがかかる。
 また、塔の基礎には世界各地の石が使われている。中国本土、台湾、朝鮮半島、シンガポール、フィリピン、パラオ、ペルーなど世界中の派遣部隊や日本人会から送られたものだ。「多田部隊 萬里長城」と刻まれた石もあった。送り主が刻まれている石だけで1789個あるという。毎日新聞の前身の一つ「東京日日新聞」と刻まれた石もあった。冷たい石肌をなでながら戦意高揚に協力した戦前の新聞業界の責任を思う。宮崎県が71年、塔の前に設置した石碑には<友好諸国から寄せられた切石>とあり、<(塔には)「八紘一宇」の文字が永遠の平和を祈念して刻みこまれている>とも記されていた。
 歴代内閣は八紘一宇に否定的な見解を示してきた。中曽根康弘首相は83年1月の参院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとであった」と述べている。
 実は、塔の正面の「八紘一宇」と刻まれた石板は戦後の一時期、外されていた。連合国軍総司令部(GHQ)が45年12月に「八紘一宇」を公文書で使用することを禁じた。県内の財界人らが動いて「八紘一宇」の文字が復活したのは65年だ。
 この塔の話は65年のNHK連続テレビ小説「たまゆら」にも出てくる。文豪・川端康成が初めてテレビのために原作を書き下ろしたドラマだ。川端が訪れた時、まだ石板は外された状態だった。原作にこんな一節がある。<見る人によっては、それが立った時の誇りを思ひ起し、塔の名のもぎ取られた時のかなしみを思ひ出し、また、ただ奇妙な形の塔とだけ眺めるのもよいのではあるまいか。すべて、古跡とか記念の建物とかは、見る人のこころごころであらう>
 「川端先生は当時の県民感情を的確に書いてくれた」。当時、川端を案内した渡辺綱纜(つなとも)・宮崎県芸術文化協会会長はそう話す。
 「この塔は戦時中に国民を戦争に一致団結させるための精神的な支柱だった。宮崎県には、その史実を正しく伝える碑などを建立するよう求めています。三原さんの発言を聞くと、再び国民を戦争に駆り立てる支柱としてこの塔が利用されるのではないかとの懸念を拭えません」。91年から塔の史実を研究している市民団体「『八紘一宇』の塔を考える会」の税田啓一郎会長は表情を曇らせる。
 公園を管理する宮崎県都市計画課の担当者は、現在の碑文について「さまざまな意見があろうかと思いますが、現状のまま大切に保存してまいりたい」と語るのみだ。
 世界各地から石を集めて築かれた巨大な「八紘一宇」の塔。それは、アジア諸国を踏みにじり日本を破滅に導いた戦争を象徴するモニュメントだ。三原氏の発言と共に胸に刻みたい。【浦松丈二】
****************************************************************************
自民党の三原じゅん子の�猗�紘一宇�疊�言を全く問題視しようとしない、国会の雰囲気そのものが問題だということを、毎日新聞の書き立てている。

何かがおかしい、日本政府も国会も。そしてその�爐�かしさ�瓩�わたしたち日本国民の運命を、またあの�狎鐐茲悗瞭鮫瓩悗板匹す�んでいくのである。そうなってからではもう遅いのである。

沖縄は、日本で唯一知除染があった。だからこそ、今の日本社会全体の�猜薫狼い琉枴儉瓩傍い�付き、わたしたちに警告を発しているように思える。ただ問題は、その�牴�縄からの警告�瓩貌�本本土のわたしたちが気がつくか否か、ということだ。


4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する